トラック整備士に鉄工所、そしてハーレーダビッドソンの正規ディーラーやカスタムショップと、ジャンルを問わずさまざまな世界を渡り歩いてきた新進気鋭のカスタムビルダー。常に「ハーレーのカスタムショップを立ち上げる」という目標を持ち続け、2009年についに生まれ故郷の神戸で RUDE ROD custom cycle の看板を掲げて独立。人気の高いカスタムショップが軒を連ねる神戸に居を構えつつも、着実に実績を積み重ねている注目の存在である。
老舗ハーレーカスタムショップ moto-com (モトコム)が居を構える神戸市垂水区で生を受ける。高校卒業後、大阪の自動車整備学校へと進学し、その後トラックメーカーのトラック整備士として3年勤める。大阪のハーレーダビッドソン正規ディーラーやカスタムショップ、鉄工所などを渡り歩いた後、2009年5月に独立を決意。生まれ故郷であるここ神戸西区にカスタムショップ RUDE ROD custom cycle を立ち上げた。新旧どちらのハーレーカスタムを手掛けることで注目を集める存在となり、地元で開催されるカスタムショー NEW ORDER CHOPPER SHOW でも常連ショップとなりつつある。
榊 ●ええ、ずっとここです。高校を卒業してから大阪の整備士学校に行き、就職先も神戸の某トラックメーカーで、ほか勤めた先もすべて関西圏でしたね(笑)。
榊 ●バイク乗りの友達が多くて、あるとき壊れたバイクを直してやったことがキッカケで、同じバイク乗りが集まってくるようになったんです。そうしていろいろやっているうちに、「俺ってこれ、得意分野かも」って楽しくなってきて、その流れで整備士学校に進んだんですわ。
榊 ●ええ、普通の高校の普通科でした(笑)。
榊 ●高校のときはレーサーが好きで、NSR50で六甲山に走りに行ったりしてましたね。そこでコケて、また直して。整備士学校に行っても、そんなことして遊んでました。今、スポーツスターのカフェレーサーカスタムをやるようになったのも、その頃のイメージなんですよね。
榊 ●ええ、そうです。自分はバイクが好きで、将来は独立してお店を構えたいって思っていました。そのためには我流ではなく、きちんと基礎を学んで立ち上げたかったんです。
榊 ●いや、ハーレーは意識していました。というのも、実家の近くに moto-com というハーレーのカスタムショップがあって、何度かお邪魔したことがあるんです。それまでは「ハーレーっておっさんくさいバイク」って思っていたんですが、moto-com で見たカスタムハーレーがカッコよくて、いつかはハーレー触りたいって思っていましたね。
榊 ●ええ。整備士学校を卒業して就職するにあたり、「一番キツい」と言われるのがトラック整備士で、あまり人が行きたがらないんですよ。特に僕が就職したメーカーのトラック部門はキツいので有名でした。そんなとき、近所の整備工の人から「四輪が触れるようになったら、二輪は楽勝や」って聞かされて、それやったらトラック整備工になって技術と経験を積んだろ、と。
榊 ●正直、キツかったです(笑)。排気量25,000ccもあるトレーラーのオーバーホール作業とかあるんですよ。そこで、僕の人生におけるひとりめの師匠に出会うんですけど、この人がまた厳しかった。怒声はもちろん、スパナが飛んでくるときだってありましたよ(笑)。とにかく毎日シバかれまくりましたね。
榊 ●それは思わなかったですね。今やから分かりますけど、何十トンもあるトレーラーやトラックをバラす作業って、ミスひとつで大けがしたり、命を落とすことだってあるんです。師匠はその怖さや恐ろしさを鉄拳で教えてくれてたんです。だから、今でも感謝しています。
榊 ●ええ、当時の支店長にエラい気に入ってもらって、「工場内の設備は好きに使ってええ」ってお墨付きをもらい、自分や友達のバイクをカスタムして遊んでいました(笑)。ここの会社って一日が終わるとススや油まみれになるんで、浴室はもちろん、仮眠室まで用意されていたんですよ。そやからほとんど住み込みみたいなことして、仕事の後はずーっとバイクをいじってましたね。
榊 ●今はもう無いですけど、大阪に居を構えていたエボリューションというショップが『バイブス』に求人募集を出しているのを見て、面接を受けに行ったんです。そんとき、ほとんどがバイクショップ出身者やったのに僕だけ未経験でした(笑)。でも、店長が「トラック触れんねんやったら、ウチでも問題ない」って、採用してくれたんです。
榊 ●いえ、逆です。僕の人生でも確実にナンバーワンと言っていいほどキツい職場でした。
榊 ●当時番頭を務めていた工場長がいたんですが、まぁこの方の厳しいことと言ったら……。
榊 ●あそこもキツかったですけど、エボリューションはもう一段階上のキツさでしたね。その厳しさも、工場長が僕に目をかけてくれて、一人前になるよう育てようとしてくれたからこそ、ですが。いやね、キツかったんですけど、楽しくもありましたよ(笑)。
榊 ●いや、ホンマに(笑)。その工場長とは今でも呑みに行く仲です。結局、エボリューションは僕が勤めて2年でお店をたたむことになりましたが、その方がお店を後にするとき、「次の番頭はお前や」って言ってくれたほどです。
榊 ●兵庫県にあるハーレーのカスタムショップに入りました。ここはメカニックとしてはもちろんですが、アメリカからの部品の仕入れなど、会社の運営や経営に関することをたくさん学びました。一度辞め、鉄工所に転職したんですが、一年半ほどでまたこのカスタムショップに戻りました。ただ、このショップもリーマンショックの影響から、倒産することになり……。
榊 ●ええ。ただ、トラックメーカーに勤めていたときから独立資金は貯めていたので、31歳という年齢も考え、思い切って独立しよう、と。それが2009年5月のことですね。
榊 ●いえ、そうでもなかったです。逆に「今はじめることの強み」があると思ったんです。言うなれば、“逆転の発想”ですね。おかげさまで3年も続けさせてもろてます。
榊 ●フルカスタムのスポーツスターとともに出展したんですが、それが反響を呼んでくれまして。
榊 ●ダイナやソフテイル、ツーリング、Vロッドだって触るんですけどね(笑)。でも、僕自身がスポーツスターが好きやし、最初の注目モデルがスポーツスターやったんで、自然とスポーツスターオーナーが集まってきてくれはりますね。
榊 ●ディーラー勤務という経験ももちろんありますが、以前から F.I.(フューエルインジェクション)モデルを触りたいと思っていました。というのも、兵庫のカスタムショップに勤めていた際、インジェクションチューナーの『ツインテック』を早くから仕入れていて、フルコンでセッティングして気持ち良く乗れるようになることが楽しかったんです。今はもっぱら『サンダーマックス』がメインで、セッティングは埼玉の BURN! H-D SPORTS の奥川 潔さんにおまかせしています。奥川さんのセッティングは申し分なし、素晴らしい状態で送ってくださいますね。
榊 ●これまで僕を育ててくれた方々に叩き込まれたことですが、「知らないというのは恥ずかしい」と常々思っています。確かに今、カスタムショップが現行モデルを触るのは環境的にも難しくなってきています。でも、新しいものへの対応力を強めていかないと、自分のためにもならないし、お客さんをハッピーにしてあげられないと思うんです。
榊 ●僕も元々旧車が好きな人間でした。けど、たまの休日に「さぁ走りに行くぞ」と思ったら、肝心のバイクが故障して動かない。で、必死になって直したら、一日が終わっていた……。そのときに、「やっぱりバイクは故障なく、気軽に乗れるのがいい」って思ったんです。だからカスタムショップとしてカッコいいハーレーをつくるのは当然ですが、RUDE ROD custom cycle は“気持ち良く乗れること”をベースにお客さんのバイクを触らせてもろてます。
榊 ●最近だとローダウンのカスタムを希望される方がいらっしゃいますが、足つきの向上は「メリット2割:デメリット8割」だと思っています。停車時にベタ足にはなるけど、その一方で、乗り味が悪くなる、ギャップを拾ったときの衝撃が大きくなるから酔ったりもする、そして事故に遭う確率もあがる……。ウチではこうした状況をすべてお客さんにお話しし、最後にお客さん自身で判断してもらうようにしています。
榊 ●別にローダウンが悪いわけちゃいますねん(笑)。まぁ、短いのがお好みという場合は、いかに(前後を)伸ばさずに気持ち良く走れるようにするか、そこを徹底的に考えますね。
榊 ●たいがいのことはできますね。「こういうのがあるとええなぁ」というパーツがどこを探してもないときは、ほぼ自分でつくってます。今後は、オリジナルのボルトオンパーツも手掛けていきたいと考えています。
榊 ●ええ、頑張ってカッコええハーレーつくっておきます。
お邪魔したこの日は 8th Annual NEW ORDER CHOPPER SHOW の翌日で、お店も休業だったところを無理を言って取材に応じていただいた。イベントの搬入・搬出などいろいろお忙しかったことと思い、可及的速やかに取材を進めさせていただき……気が付けば、13時過ぎに到着したはずが、外を見るととっぷり暗くなっていた。滞在時間はなんと7時間。嗚呼、榊さん本当にごめんなさい。実質、取材時間は3時間ほどで(これでも長いのだが)、あとはほとんど雑談。とはいえ、35歳という榊さんが見るハーレー業界とそこに対する想いは尋常じゃないほど熱く、したたかながらもその情熱の一端を見せてくれたのはインタビュアーとして至上の喜びであり、何度もお会いしたことがある彼の知られざる一面は、僕を大いに刺激してくれた。改めて、榊さんのような情熱ある人物をフィーチャーし、ハーレーの世界はまだまだ可能性に満ち溢れていることを広く伝えていかねばならない、それがメディアである自分の仕事だと意識させられた一日だった。榊さん、またお邪魔しに行きますんで、これに懲りず付き合ってやってください。