VIRGIN HARLEY |  齋藤 誠治(45DEGREES)インタビュー

齋藤 誠治(45DEGREES)

  • 掲載日/ 2008年02月13日【インタビュー】

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カスタムビルダーでもチューナーでもない
“メカニック”という役割にこだわり続ける

ハーレーダビッドソンを専門に取り扱う45DEGREES。ドラッグレースやスポーツスターカップに参戦するなど、その力はサーキットをはじめとしたさまざまなフィールドで実証済み。だが、主宰する齋藤さんの目指すところはレースで有名になることでも、斬新なカスタムマシンを世に送り出すことでもない。ただひとつ、ハーレー専門店のメカニックとして、ユーザーのハーレーを完調にし、お客さんと愛車が少しでも長くつき合えるよう手助けすることだ。そこにはカスタムビルダーやチューナー、ましてショップ経営者などではなく、“メカニック”としての役割と責任を果たしたいという齋藤さんご自身の強い信念と自信がある。そんな齋藤さんとは、いったいどんな人物なのか。子供の頃から今までの人生を振り返っていただいた。

Interview

バイクに乗る大人たちって
なんだかカッコイイって思ったんですよ

ー小さい頃からこういう世界に興味があったのですか?

齋藤●父親が技術屋だったので、自然に家の中に工具とかがありましたね。親父は休日になるとラジコン飛行機やヘリコプターなんかを飛ばしていたんで、ボクもやっぱり影響されたのか、工具を触るのが好きでした。何でもバラバラにしては直せなくなって怒られる、そんな子供でしたね。中学生になると「クルマの整備士になりたい」って漠然と思うようになり、バイクにも興味が湧いてきました。でも、その頃は“三ナイ運動”というのがあって「バイクに乗ると暴走族になる」と、親に猛反対されましたよ。

18歳になってから中型二輪免許をとったんですが、当時はレーサーレプリカブーム真っ盛りで、ボクも「NSR250R」を買おうって思ってたんです。でも、地元(齋藤さんは千葉県船橋市出身)にホンダ系のバイク店があって、そこで買おうと思ったら店長に「免許取りたてじゃ、危ないから売らない。扱いやすいVTZなら売ってやる」って言われましてね。それで250ccの「VTZ」を買ったんですよ。店長はいわゆる“頑固オヤジ”でしたが、なぜだかその人のことを慕うようになって、お店に通うようになりました。売るだけじゃなく、お客さんのことを親身になって考える。そんな“職人気質”みたいなものに惹かれていたんでしょうかね。

※三ナイ運動:高校生がバイクを「乗らない」「買わない」「(免許を)取らない」という教育委員会が掲げたスローガン。“バイクに乗る若者=暴走族”という偏見に満ちた運動であった。
ーバイクに興味を持ったのはなぜ?

齋藤●バイクってメカメカしいじゃないですか。小さい頃から機械が好きだったので、そんなところがよかったんでしょうね。実際にバイクに乗れるようになると、なんだか大人になれた気がしました。それまで経験したことのない世界で、すべてが新鮮でしたね。交通社会の一員になって責任も問われるし、自分の力でいろんなところに行ける。常連客の大人たちにツーリングへも連れて行ってもらいました。当時はお金がないから装具も酷かったんですよ。「雨が降ってきたからカッパを着よう」ってなったんですが、ボクは持ってない。そしたら、先輩たちがコンビニでゴミ袋を買ってカッパをつくってくれたんです。なきゃないで、なんとかしちゃう。そういうのにいちいち感動して、バイクに乗る大人たちって、なんだかカッコイイって思ったんですよ。

ー危ない目に遭ったことはなかったのですか?

齋藤●19歳の頃だったか、近くのワインディングを走っている時に事故に遭って内臓破裂。救急車で運ばれて入院したんですよ。親はカンカンに怒っていましたね。それからバイクがなくなっちゃったんですが、それでも頑固オヤジのいるバイク店には入り浸っていたんですよ(笑)。

ーバイク屋の“頑固オヤジ”さんには、ずいぶん影響を受けたようですね。バイクのメカニックとして生きていく、そういうビジョンはその頃に持ったのでしょうか?

齋藤●その頃はバイク屋になるなんて、まったくイメージしてませんでしたね。ただ、メカニックという職業には漠とした憧れがあったので、整備の専門学校に行くことにしたんです。「クルマの整備士になろうかな」くらいに考えてました。でも、バイク事故から1年半くらい経った時に、ヤマハ「SR400」を買ったのがきっかけで、バイクのメカニックを目指すようになったんです。21歳の頃でした。その時も最初と同じバイク屋で買ったんですが、店長に「バイク屋を辞めたいと思うときって、どういうときかわかるか?」って聞かれたんですよ。「わからない」って答えると、「お客さんが亡くなったり大怪我をしたりしたとき。これほど嫌なことはない。家族にもなんとお詫びしたらいいか」と話してくれました。こういうメカニックになってみたいなって思ったんです。

ー整備の専門学校は楽しかったですか。

齋藤●座学はチンプンカンプンでした。先生が言っていることが一切わからない(笑)。でも、実習はこなせるんですよ。先生も不思議がっていましたね。当時はアルバイトに明け暮れていて、学校が終わるとスーパー、夜はコンビニでアルバイトしていました。日中は眠たくて、まともに授業を聞いていられるはずありませんよね。

ー実習ならなんとかなっちゃうっていうのは、素質があったからなんでしょうね。学校を出てからは、どうされたんですか。

齋藤●就職は四輪車ディーラーに内定していたんですが、土壇場になってバイク店に変えちゃったんです。行きつけのバイク店にメカニック募集の貼り紙がしてあって…BMWディーラーでした。ここで働きたいと思ってしまったんです。もちろん、学校では大問題。せっかく就職先が決まったのに先方に断らなくちゃならないから、学校側には「勘弁してくれ」、「バイク店じゃ喰えないから考え直せ」って。「それじゃあ、四輪ディーラーは就職して1ヶ月で辞める」って先生に言ったら、そこまで言うんだったらって丸く収めてくれたんです。その時もバイク店の店長が「自分が本当になりたいものになれ!」ってアドバイスしてくれたんですよ。

ー一気に火がついた感じですね。

齋藤●やっぱりバイクが好きだったんでしょうね。でも、給料もやっぱり安いし、1年半くらいで四輪車のディーラーに転職してしまいました。バイクよりもクルマの方が、サラリーマンをする分には安定しているし、そのときは親も喜んでいましたよ。

ー仕事は楽しんでいたのですか。

齋藤●専門学校を卒業して間もないのに、若気の至りで、なんの根拠も力もないのに自信だけはあったんですよ。そしたら何もできなくて、先輩には怒られてばかりでした。入ったバイク屋さんには腕の良いメカニックの先輩がいて、ずいぶん面倒を見てもらいました。失敗するたびに怒られるんですが、なんでこうなったのか、なんでこういう構造なのかを常に考えるよう命じられたんです。修理の方法とかやり方は何も教えてくれませんでしたが、自分で考えて解く力を与えてくれましたね。四輪へ移ってからは給料こそ上がりましたが、仕事の内容に不満を持ちました。四輪ディーラーの場合、クルマの修理は部品を交換するだけ。「これでは技術は覚えられない」って思ったんです。将来を考えると「若いうちにしっかりとした技術を身につけておかなくちゃ」という気持ちあったので、真剣に修行できるところへ入り直そうと考えました。

ー志が高かったんですね。

齋藤●当時は22~23歳の頃ですかね。バトル・オブ・ザ・ツインという草レースにSRで出場するようになっていて、バイクにすっかり夢中になっていきました。四輪ディーラーへ転職したことで「仕事にするならやっぱり大好きなバイクで…」という想いが強くなっていたんでしょう。それで先輩にハーレーやBMWを取り扱う老舗ディーラーを紹介してもらって、またバイク業界に戻ってきました。でもその頃は、まだまだどうしようもないヤツで、多少は腕には自信があるって顔をして臨んだんです。そしたら何もできない。工場長には「センスないから、お願いだから辞めてくれ」って言われる始末です。整備なんかぜんぜんやらせてもらえず、車両の引き上げと納車、それから車検ばっかりでした。

でもね、悔しいから「このまま辞められるか」、「必要な人間になってから辞めてやる」と少しずつ勉強しました。整備させてもらえるようになるとボクの作業を工場長が最後にチェックするんですが、最初のうちはぜんぶ工場長がやり直し。「オレがやる意味ないじゃん」ってふさぎ込んだりもしましたが、よく見ているうちに自分の作業と工場長がやったのとには微妙に違いがあることに気付きました。そのうち、整備後のチェックを一発でパスできるようになって、認めてもらえた気がして嬉しかったことを覚えています。

ーそのころは充実していたのですね。

齋藤●そうだったかもしれません。ある日、叱られてばかりだった支店長に「齋藤!」って呼ばれました。絶対に怒られると思っていたら、ボクが整備して納車したバイクのお客さんが「こんなに気持ち良く走るのは初めてだ」ってお礼の電話をくださったと言うんです。店長も「嬉しい、オレは鼻高々だ」って喜んでくれて、それが唯一褒められた思い出です。そのときに“仕事”って、こういう楽しみもあるってことを知りました。それまでは自分のことさえよかったら、それでいいという考えでしたが、お客さんのことを真剣に考え、そして喜んでもらう。メカニックとしての本当の悦びは、こういうところにあるんだって思えたんですよ。

どエライものを買ってしまった…
でも、いじるほど良くなっていく!

ーハーレーとの出逢いはいつ頃に?

齋藤●ディーラー時代、登録業務で陸運局の敷地内を少しだけ走る機会がありましてね。前に打ち出す力強さ、鼓動感、乗って楽しい感覚に感激したんです。それまでに乗ったことのあるどんなバイクよりも魅力的だったので、すぐに欲しくなって1994年式のローライダーをローンで買ったんです。その頃は中古車もほとんどなかったし、借金するならデカくってことで新車を購入しました。ビッグツインとスポーツスターの違いさえもよく解ってなかった頃で、ただ漠然とタコメーターが付いているし、カッコイイって思ったんですよ。

でも、納車されてからは「どエライものを買ってしまった…。コイツに乗り切れるだろうか」と後悔ばかりでした(笑)。マフラーを交換したら、バックファイヤーでパンパンいっているし、まともに走らない。でも、いじればいじるほど良くなっていくので日々勉強でしたね。バイクって高性能になるほどハイスピードになっていくものですが、それだとごく一部のライダーにしか解らない限られた世界だと思うんですよ。でもハーレーだと、どんな人でもクラッチをミートした瞬間にわかるモディファイが楽しめる。そして、ひとつとして同じものがない。車体に個体差があってまるっきり同じものにはならない、そういうところがハーレーの魅力だと思いますね。それをいかにして、同じようにコンディションの良い状態でお客様に提供できるか。そんなところが今、ハーレー専門店としてのメカニックの腕の見せ所だろうと考えています。

ーその後、修業を続けて45DEGREESをオープンさせるわけですね。

齋藤●はい。それまでハーレーはもちろんBMWやモトグッツィなど、いろいろなバイクを見て触ってきましたが、現在はハーレーダビッドソン1本でやっています。45DEGREESという店名は、それまでいたバイクショップから独立する時に、常連客に考えてもらったんですよ。オープンは2002年、ボクが30歳の時でした。開業して4ヶ月半、おかげさまで忙しい毎日を過ごしていたんですが、テストラン中に事故に遭ってしまって…。その瞬間に「すべてが終わった」と感じてしまうほどの事故でした。「歩けなくなるかもしれない」、「左足を切断しなければならないかも」って医者に言われたくらい。でも、入院中にお客さんたちがお見舞いにきてくれて「いつまでも待っているから」、「齋藤さんがいないと困るんだ」と言われて。「オレ一人の問題じゃない」と考え直し、ガムシャラにリハビリして、お店を存続させることができました。今、メカニックとしてやっていられるのも、助けていただいた人たちのおかげなんですよ。

※“45DEGREES”(フォーティファイブディグリーズ)は、ハーレーの45度Vツインエンジンのことを表している
ーハーレー1本でやっていて、オリジナル商品の販売も行っている。それなのに車両販売はしていないようですね。なぜなのでしょうか?

齋藤●ボクはやっぱり“メカニック”であり続けたいんです。車両を売るのに一生懸命にならず、お客さんのハーレーを丹念に整備してあげることに全力を尽くしたい。ハーレーって、オーナーの思い入れが1台ずつ必ずあると思うんです。お客さんには、そんな愛車にいつまでも乗っていていただきたいので、お客さんが乗り続ける限り責任を持って直してあげたいと思っています。オリジナルパーツは製作するつもりはなかったのですが、理想のパーツを追い求めているうちに製品化することになりました。真剣にメカニックをやっていると、自分のまわりにも素晴らしい人たちが現れるんですよ。信頼のできる機械加工屋さんや内燃機屋さん、塗装屋さんにステッカー屋さんなど。みんな、確かなものをお客さんに提供するというボクと同じ信念を持っている人たち。そんな人たちが協力してくれるからこそ、自信を持ってオリジナルパーツもリリースできるんです。

ーバージンハーレーの読者には、ハーレービギナーの方もたくさんいらっしゃると思うのですが、そういう初心者がお店を訪ねても受け入れてもらえますか。

齋藤●もちろん大歓迎です。ハーレーに対する知識をしっかりと持っていただきたいので、まずはじっくりと話すことから始めたいと思います。病院でもそうですが、治療する前には問診が必要ですからね。しっかりと説明した上で、修理やモディファイをオーダーしていただくように心がけています。引き受けた以上はプロとしての責任を果たしたいと思っています。

ーハーレーに乗り始めたばかりの人、またはこれからハーレーを買おうっていう人に、ひとつアドバイスするなら、どんなことでしょうか。

齋藤●まずは信頼のできるショップを探して欲しいですね。お客さんの機嫌をとるだけでなく、その人の使い方や体格に合わせたセッティングやモディファイ、アドバイスができるお店に通い、ハーレーの本当の楽しさを味わうまで、じっくりつき合っていただきたいです。ハーレーは世界中にファンがいて、100年以上も続いている伝統あるバイク。素晴らしいに決まっていますからね。例えば、調子が悪くて困っているのに、ショップで「ハーレーはこんなものだよ」と言われガッカリしている。そんなわけがありません。せっかく高いお金を出して購入した愛車ですから、長くつき合うためにも乗りっ放しではなく、整備し調整してあげるべきです。ハーレーはお金をかけてメンテナンスや修理するだけの価値があると思います。そして、そんな一流品ですから、根っからのフリークは価値が解っている人が多い。ボクはそんなハーレーを大切にする価値を解っている人のために、これからも邁進して行こうと思っています。

プロフィール
齋藤 誠治
千葉県船橋市出身、1970年生まれ37歳。埼玉県川口市にあるハーレーダビッドソンを専門に扱うプロショップ「45DEGREES」の主宰。最初に買ったハーレー、1994年式ローライダーを大切に乗り続けるハーレーフリークであるが、国内外のあらゆるモデルにも精通している生粋のメカニック。

Interviewer Column

齋藤さんは生まれて初めて買ったハーレーを今なお大切に乗り続けている。ハーレーの専門店をやっていれば、いろいろなモデルに乗り換える機会も多いだろうに、1台のハーレーとじっくりつきあっている。聞けば、この先も手放すことはないと断言する。愛車を想う気持ちは人一倍だが、自分のバイクに愛情をたっぷり注いでいる人だからこそ、お客さんのバイクとも真剣に誠意を持ってつき合えるのではないだろうか。齋藤さんはハーレーの魅力をこう語ってくれた。「ハーレーダビッドソンには一流品としての価値がある。いいものを大事にすることで、物の価値が解る。価値が解れば、自分も本物になれる」。確かにハーレーを所有する素晴らしさには、乗る楽しみだけでなく大切にするという悦びもあると思う。そんなオーナーの心の奥にある大切な気持ちを、齋藤さんは十二分に理解していて、ボクにも教えてくれた。そして、齋藤さんに愛車のコンディションを診てもらい、45DEGREESを慕ってくる常連客らも、やはり齋藤さんの想いと同じように愛車を人生のパートナーとして扱っている。「自分の愛車は500万円で売ってくれって言われても、即答で嫌ですって言い切れる」。齋藤さんを取り巻くハーレーフリークたちは、皆こう言うのだ。 (青木タカオ)

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