VIRGIN HARLEY |  奥川 潔(BURN ! H-D SPORTS)インタビュー

奥川 潔(BURN ! H-D SPORTS)

  • 掲載日/ 2007年11月12日【インタビュー】

ハーレーインタビューの画像

24時間スポーツスター漬け
熱烈なスポーツスター・フリーク

“MASTER of SPORTSTER”と称されるほどスポーツスターに対する知識・ノウハウ、そしてライディングテクニックと理論を持つことで知られる「BURN ! H-D SPORTS」の奥川 潔さん。スポーツスターのワンメイクレース「スポーツスターカップ」では表彰台の常連であり、20年近くもスポーツスターに乗り続け、そのシーンを盛り上げてきた功労者である。今回はそんな奥川さんの、これまでのメカニック歴やハーレーと出逢うきっかけを伺ってきた。話題は終始、スポーツスターのことから離れることなく終了。本人いわく「寝ても覚めても四六時中、スポーツスターのことを考えている」とのことで、他のことは気にならないという。「ボクは永遠のサンデーレーサーで、走りたい時にだけ走ろうと思っている」という奥川さん。本当にスポーツスターのことが好きだということが伝わる取材となった。

Interview

スポーツスターに出逢ったおかげで
レースの楽しみ方が変わりました

ー奥川さんがスポーツスターに興味を持ち出したのはいつ頃、どんなきっかけだったのですか?

奥川●ボクがバーンをはじめたのが2000年で、それまでは練馬区にある「モトライフ」というバイクショップにいました。スポーツスターに初めて触れたのはモトライフにいた頃、30歳を前にしていたから1990年くらいかな。中古で4速の883が入ってきたんです。当時のモトライフは、ホンダのウイング店の看板を揚げていたから、ハーレーが入ってくるのは珍しかった。興味を持ってアレコレ触ってみると、コイツはイジればもっと思い通りに走れる“面白いバイク”だと思ったんです。

ーその後、スポーツスターカップなどに出場し、表彰台の常連となるわけですが、どうしてスポーツスターというひとつの車種だけでレースをやり続けているのでしょうか。

奥川●やっぱり面白いんですよ。2004年にラバーマウント化、2007年にインジェクション化され、スポーツスターもどんどん進化してきましたが、その魅力は変わらないものです。面白いと思う限り“走りたいときに走る”という姿勢で、レースを続いていきたいですね。今年は忙しくて、レースに出場できていませんが、もう少し落ち着けばまた走りますよ。ボクの中ではレースはあくまでも趣味。時間がないところで無理して走っても、つまらないですからね。

ーそもそも、いつ頃からレースをやっていたのですか。

奥川●レースは20歳頃から始めて、YAHAMAのRZ350やTZでロードレースに出場していました。MCFAJではエキスパートまで行ったので「コレで飯が喰えたらいいなぁ」と夢見たこともありましたね。でも、若い頃は精神的に弱くて「自分はプロレーサーとしてはやっていけない」と思い、20代後半にはレース活動も休みがちでした。スポーツスターと出逢ったのはそんな頃で、“スポーツスターなら楽しくレースがやれる”そう思ったんです。

ーその頃はレースという世界に、少し参ってしまっていた、と。

奥川●そうかもしれません。それまではレースというと、まず“タイム”というのが念頭にあって、タイムに一喜一憂して、面白いと感じるのはその次。タイムばかりを気にしていて、“面白い”とか“楽しむ”という肝心な部分が押し殺されていたんだと思います。でも、スポーツスターなら、タイム云々よりも“面白い”とか“楽しい”が先にくる。もちろんレースに取り組む時はいつだって真剣ですが、ロードレーサーで目を吊り上げて走るのとは、また違ったスタンスで走れると感じたんです。

ースポーツスターとの出逢いによって、ずいぶんレース観が変わったのですね。スポーツスターに初めて乗った時は、どんな印象をお持ちになったのでしょうか。

奥川●意外に思うかもしれないけれど、RZに似ていると思いました。車重がぜんぜん違うけれど、重心が真ん中にあってフロントが19インチ。いわゆる、昔ながらの普通のバイクですね。その頃、メインに触っていた4発のエンジンやフロント17インチのバイクにはないもので、自分が初めて乗ったバイクに近い感覚でした。だからお店に入ってきた中古の883は売らずに、勝手にイジってサーキットへ持ち込んじゃいました。その頃「クラブマン」誌で、後に「HOTBIKE JAPAN」誌 初代編集長となる池田 伸さんが、スポーツスターでレースに出るという企画をやっていて、面白そうだなぁって思ってボクも読んでいたんです。そしたら、筑波のツインレースに出ているうちに親しくなって、一緒にアメリカまでレースしに行くようにもなり、スポーツスターは良い仲間と出逢うきっかけにもなりました。

スポーツスターはレースマシンじゃない
普通の道を意識した「ロードスター」

ーところで、初めて乗ったバイクは何だったのでしょうか。

奥川●16歳の時はYAHAMAのGR80とかRD250に乗っていました。それまではクルマもバイクもまったく興味がなかったのですが、友達がバイクに乗り出したのを機に影響されてしまったんです。乗るのも好きでツーリングも人並みに行きましたけど、どちらかと言うとイジる方が好きでした。でも18歳になると、まわりの流れでクルマに乗りましたけどね。高校を卒業すると、メカニックをやりたかったので、クルマメーカーのディーラーで働きました。そこで、富士スピードウェイを走るクラブがあって、メカニックとしてサーキットへ行ったんです。その時にバイクのスポーツ走行を目の当たりにして、衝撃を受けたんでしょうね。バイクでサーキットを走るのって面白そうだなって。

ーどうしてクルマよりもバイクの方が面白そうだと思ったのでしょう。

奥川●クルマは走っている人が見えないけれど、バイクって乗り手の全てが剥き出しで、カラダを目一杯使って走っていでしょう。それがカッコ良く見えたんです。それからバイクでレースがしたくなって、高校生の時の同級生たちと「モトライブ・マジック」というレーシングチームをつくりました。20歳の頃でしたね。そこからレース活動が始まったんです。もちろん、ライダー兼メカニック。いまもそのスタンスはそのままですね。だって、自分がモディファイしたバイクを、自分が乗って走るのが面白いんだから。

ーモトライフにはいつ頃、入ったのでしょうか。

奥川●24歳の頃だから1975年あたりかな。趣味でバイクのレースをやっているうちに、クルマのディーラーがやっぱりつまらなくなって辞めてしまいました。それでたまたまガソリンスタンドで、スタッフの募集があったので面接に行くと、「整備士の資格があるなら、隣のバイク屋さんで働けば」って言われたんです。それがモトライフに入ったキッカケ。モトライフの隣のガソリンスタンドは、モトライフの店長のお兄さんがやっていたんですよ(笑)。

ーそれから主に国産のバイクに携わってきて、30歳になる前にスポーツスターに出逢った。というわけですね。ビッグツインは所有されたことはありますか?

奥川●ありますよ。えーと、1992年式だったから31歳の頃かな。モトライフのお客さんが、ヘリテイジを買ったんです。その時は興味がなかったんですが、3~4年して、そのお客さんが売りたいと言ってきたので、自分で買って乗ってみたんですよ。スポーツスターでレース活動を初めていたから、ビッグツインにも興味があったんです。公道を走るには、とても良いバイクだって思いました。でもサーキットを走るには、絶対にスポーツスターですね。車重がまったく違いますから。

ーフューエル・インジェクション仕様になってからのスポーツスターはどうですか。

奥川●インジェクションの方が徹底的にセッティングできますね。どこまでも細かく設定できる分、時間がかかってタイヘンですけれど。キャブレターなら、こんなもんだろうってある程度のところで限界が来ますが、インジェクションは限りない感じ。ボクはどちらも好きですが、インジェクションは調子が出れば出るほどスムースになる感覚ですね。ダイノマシンに載せて、エンジンの出力特性を日々研究しています。ボクはエンジンが好きですから、それも楽しいんですよ。

ーもし、サーキットで楽しむなら、どのくらいの年式がベストでしょうか。

奥川●スポーツスターもビッグツインも年々変わっていきますが、それは正常進化だと捉えています。よく、「どの年式が良いですか?」って聞かれることがありますが、その年のモデルそれぞれに良さがあると思います。スポーツスターは2004年でラバーマウント化されて、車体も大柄になりました。本当はどっちでもイイのですが、強いて言えば2003年までの方がサーキット向きであると言えます。小柄な車体は、やはり軽くて扱いやすいんですね。ボクは2003年までの車両で、さんざんレースをやってきたので、いまは2004年式で楽しんでいますけれど。でも、スポーツスターはあくまでも普通の道を意識した「ロードスター」です。サーキットを走ることなど考えて作られていなくて、そんなバイクでレースに出るから面白いのでしょう。

ーお店には奥川さんのように、サーキットを走りたいって人がたくさん来るのでしょうか。

奥川●お店のお客さんたちは、大部分が公道で普通にバイクに乗って楽しんでいる方たちで、サーキット派はごく少数。ボクがレースをやっているのはあくまでも趣味でして、お店に来てくれているお客さんたちも、そんなことは知らない人がイッパイいます。ボクはそれで良いと思っています。

ーてっきりレース派の人が集まっているのかと思いましたが、そうではないんですね。お客さんからはどんなオーダーが多いのでしょうか。あと、触るエンジンをエボリューション以降に絞っているそうですが、これはなぜでしょうか。

奥川●ウチの場合は、一般的な修理がメインです。面倒くさいことは嫌だから、走行会を主催することもないし、ツーリングもお客さんに誘われて参加するというスタンス。車両販売もほとんどしていません。最近のお客さんで要望が多いのは、「低速トルクをもっと厚く」というものです。ノーマルは排ガス規制などがあるから、低速が犠牲になっています。キャブレターやインジェクションを触ることで、これを改善して欲しいというオーダーが多いですね。サーキットで得たノウハウは、ここで街乗り派の人にも生かすことができるんですよ。だから、ボクのところはスポーツスターだけのお店でもないんです。サーキットではスポーツスターで走っていますが、そのノウハウはビックツインにも生かせますからね。だから、ウチに来るお客さんの半分くらいは実はビックツインなんです。あと、触る年式をエボリューション以降に絞っているのは、ボク自身が旧いバイクの完調な状態を知らないから。知らない時代のものは、やっぱりやれません。

ー奥川さんが20年近くもスポーツスターを楽しんできたのは、“レースは趣味”というように、お店の仕事とは分けて考えるからなのですね。

奥川●仕事じゃあ、面白くないですからね。ボクは永遠のサンデーレーサーで、走りたい時にだけ走ろうと思っています。準備に追われてヘロヘロになってレースに出るのじゃあ、つまらない。その点、883は1度マシンをつくると、あとは消耗品を換えていけばある程度楽しめる。モディファイされ尽くしたマシンだと、しょっちゅうエンジン開けなきゃダメで手間がタイヘン。ボクは、お気楽な883がやっぱり好きですね。

ー排ガスや騒音規制で、どんどん縛りがきつくなってきていますが、これからのスポーツスターやビッグツインにどんなものを期待しますか。

奥川●なるようにしかならないから、その時代その時代に考えていきます。毎年、ニューモデルが出た時は、できるだけ知りたいし、どうすれば面白くなるのかを考える。それが面白いんです。そもそもボクはハーレーにしか興味がなくて、他に趣味がないんです。ですからボクがスポーツスターやハーレーに飽きてしまうということは、この先も当分はないでしょう。寝ても覚めても四六時中、スポーツスターやハーレーのことを考えていて、興味のないものは全く気にならない性格なんです。ハーレー以外で好きなものは、強いて言えば愛犬ぐらいかな(笑)。

プロフィール
奥川 潔
1961年生まれ44歳。東京都練馬区のバイクショップ「モトライフ」のメカニックを経て2000年に独立。「BURN ! H-D SPORTS」を立ち上げ、現在は埼玉県所沢市に店舗を構える。スポーツスターカップではたびたび入賞し、そのシーンを盛り上げてきた。

Interviewer Column

ボクはバイク雑誌で、しかもハーレーダビッドソンの専門誌で編集/ライターをやっているにも関わらず、担当する部分が「初めてのハーレーダビッドソン」などビギナー向けの部分が多く、この業界の大御所たちとはほとんどお会いしたことがないのである。奥川さんのことも、ずっと前から知っていたものの面識がなく、インタビュー前日は少し緊張してしまった。弱気になったボクは先輩の編集者に電話し、奥川さんのプロフィールなどを教えてもらうなどアドバイスをもらった。先輩は開口一番で「なんたって良い人だから大丈夫」と微笑んだ。会ってお話しさせてもらうと、先輩の言ったことが嘘ではないことがすぐに解った。お話の中で奥川さんは「面倒くさいことは嫌だ」と何度も口にしたが、そんな言葉とは裏腹にとても面倒見の良い人である。インタビューが長引き、お昼に差し掛かると、初対面であるボクに昼食を用意してくれ、スタッフらとの休憩にお邪魔させてもらえた。若いメカニックの方が「バイクの取り回しで腰を傷めちゃった」と言うと、奥川さんは「ベンチで横になってな」とひとこと。そんな優しい言葉を受けてメカニックさんは「いえいえ、大丈夫っす」と、はにかんだ。奥川さんは人に対して、そんな気遣いができる人である。(青木タカオ)

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