日本中のショップの中古ハーレーを見ていて、昔から不思議に思っていたことが1つある。走行距離がたった数百mで中古車として売られているハーレーが意外なほどたくさんあるのだ。乗り換えもあるだろうが、その中のどれくらいの人がハーレーを降りてしまったのだろうか。人それぞれ事情があるはずだが「もう少し乗れば楽しさにハマったかも…」という気がしてくる。そこで今回のインタビューでは兵庫県神戸市に住む、ハーレー歴12年のTOSHIさんに話を伺ってきた。12年で3台のハーレーに乗っており、短期間ではあるが、仕事の事情でハーレーを降りたこともある人だ。なぜ10年以上もハーレーを飽きずに乗ることができるのか、一度降りてまた戻ってきた経緯とその心情をお聞きしてきた。
TOSHI●僕のバイク好きは父親の影響を受けたのはあるかもしれませんね。僕が中学生の頃、父親はBMWに乗っていて、一度両親が出かけるときにこっそり乗ろうとしたことがありました。もちろん見つかって、母親に激怒されたことがありましたね(笑)。父親は「なにしとんねん」って笑っていましたけれど。
兄もバイク乗りでしたから、僕も高校の時からバイクに乗りたくて仕方なかった。特にハーレーには憧れがあったんです。高校1年のときだったかな、エボリューションエンジンに変わり、発表されたばかりのFXSTを雑誌で見て、切り抜きを下敷きに挟んでいたくらい好きでした(笑)。ただ、当時は『三ナイ運動』が真っ盛りの時期、バイクに乗っているのが学校にバレたら退学になってしまうような時代でした。バイクに乗っていた同級生が退学になったり、「学校とバイク、どっちを選ぶねん」と迫られているのを見たりしていて「そんなことで学校を辞めるのはアホらしい」とバイクに乗るのは高校卒業まで待っていました。
TOSHI●卒業してすぐ中型免許を取りにいき、最初に乗ったのはレーサーレプリカでした。ハーレーが欲しい気持ちに変わりはありませんでしたが、ローンで買うのは嫌だったので働きながらお金を貯めようと思ったんです。20歳くらいのときには何とかハーレーを買えるくらいのお金は貯まりましたが、限定解除(一発試験で大型二輪免許を取る制度)に行ってもなかなか受からなくて。
TOSHI●毎回150人くらいが受けて、完走できるのが10人、合格するのが2、3人という試験でした。でも、僕は3回受けて2回完走できたんです。完走できた人は試験後に「どこが悪かったのか」の採点表をもらえました。それを見たらマイナスポイントがないんです。係員を捕まえて「コレ、減点ないんやけど…」と聞いたら「100点やね」と。「じゃあ何で落ちたん?」と聞いたら「若いからちゃうか」と(笑)。そんなこと言われたら無理だと思うでしょう? 仕事の合間を縫って試験場に足を運んでいましたが、限定解除はあきらめて貯めていたお金で車を買いました。サーフィンもやっていたのでボードを運べる車も欲しかったんですよね。そうするうちに手元にあったレーサーレプリカも事故で全損になり、24歳になるまでの数年はバイクから離れサーフィンばかりしていました。
TOSHI●1995年の「阪神淡路大震災」です。家が半壊した友達や亡くなった友達もいました。地震後に仲間4人で集まって「もう1発きたら死ぬかもしれんな」、「それやったら好きなことをやりたいな」という話になり、何がやりたいかを話していたら、またバイクに乗ろうという話題になったんです。たまたま仲間がバイク雑誌を持っていたので皆で見ていると、国産アメリカンのフルカスタムが雑誌に載っていて。「メチャメチャカッコいいな、コレ」、「まるでハーレーだね」、「ここまで改造したらナンボくらいするの?」、「ハーレーと同じくらい」、「それやったらハーレー乗ろうやないか」と(笑)。仲間4人が一斉に限定解除の試験を受けて、大型免許を取得し、僕は1986年式FXSTを手に入れました。結婚直前だったんですけれどね。
TOSHI●いや、たまたまです(笑)。ハーレーを買おうとしていた頃、街でカッコいいハーレーのカスタムを見かけて。その人の後を追っかけて声をかけたら、近々神戸にカスタムショップをオープンする予定のお店のオーナーさんだったんです。それが縁で愛車のFXSTを譲ってもらったわけです。
TOSHI●鉄工所に勤める仲間もいて、仲間とハーレーをイジることができる環境は揃っていましたから。今は原型が無くなるほどのカスタムは好みではないですけれど、当時は見てくれが一番大事。FXSTを経てショベルに乗り換える頃には仲間の工場の軒先を借りて車両をバラバラにして、知り合いの塗装屋にペイントしてもらい、シートもシートベースから自分でワンオフして作るようになってましたよ。
TOSHI●そういうわけではないんです。今はどうかわかりませんが、お店でカスタムしようとしても、ショップのカラーと合わないとなかなか好きにやらせてもらえないじゃないですか。「こんな風にカスタムしたいなぁ~」と言っても「そんなのやめとき」と言われるみたいな。そういうことが面倒で、好きにしたいんだから自分でやっちゃえ、と。
TOSHI●最初のFXSTは長時間乗っていると、本当に疲れるバイクだったんですよ。ハンドルなんか「間接技かけられとるんとちゃうか」という仕様で(笑)。気持ちよくツーリングに行くことができ、たまには奥さんを乗せてタンデムもしたいな、と思いFXSTは処分することにしたんです。
TOSHI●友達から譲ってもらったので、たまたまです。1977年式のFXだったのですが、FLの外装を見つけてきてカスタムしていました。
TOSHI●前に乗っていたのは1986年式のFXST、初期型の4速エボでした。4速エボは腰下がショベルですから、エンジンフィーリングはそれほど大きな違いはありません。しかも、最初は調子が悪かったショベルですが「ハーレー屋まつもと」のおやぢさんと知り合い、面倒を見てもらううちにどんどん調子がよくなって。そうしたら初期エボに限りなく近いフィーリングになっていったんです。ショベルから初期型のエボに移行していく変化を体で体感できた気がします。ちなみに今乗っているFXSTCは96年式でほぼ最終型ですから、初期エボ~ショベル~最終エボと70年代~90年代のハーレーの進化は身をもって体感できました。
TOSHI●5年くらいですね。余裕があったらお金をかけてちゃんと直して乗っていたかったのですが…仕事の関係で売ることになってしまって。当時は自分で商売をしていた時期で、自分ではどうしようもないことがあってショベルヘッドを手放さざるを得なかったんです。ショベルが無くなって、一時期は抜け殻のようになっていましたよ。忙しい仕事の合間を縫って楽しんでいた唯一の趣味でしたから。
TOSHI●周りが僕の様子を見かねて、今僕が乗っている1996年式FXSTCを見つけてきてくれたんです。「お前、またハーレー乗れや」と。前のオーナーさんは怪我をしてハーレーを降りなければいけない人だったようで、他にもっと高く買ってくれる人がいるのに「どうせなら大事に乗ってくれる人に譲りたい」とかなり安い値段で僕に譲ってくれました。そんな経緯で手に入れたのが今のFXSTCですから、特別なバイクですね。いろんな仲間の助けを受けて、いろんな仲間の気持ちが入っているバイクだから特別大事にしていきたいな、と思っています。
TOSHI●まだショベルに乗っていた2000年頃に自分のホームページを立ち上げたんです。当時はハーレー乗りのホームページなんてまだまだ少なくて、他のハーレー系のホームページを運営している人たちと自然と交流するようになりました。そうやっていつの間にか輪が広がっていたんです。地元のハーレー乗り以外と繋がったのはホームページを立ち上げたおかげですね。
TOSHI●距離を走るほどに気づいたことがあるんです。ノーマルに近いほど安全で楽…間違いありません。ノーマルスタイルに戻ってくるまで3台のハーレーに乗り、気づくのにかなり時間がかかりましたけれどね(笑)。今は大掛かりなカスタムには興味はなくなりましたね。昔は散々トラブルにあって、走行中に停まったこともありました。自分が下手に触ったせいで壊したこともありました。それでやっと気づいたんです、「ノーマルってよくできているな」と。あとノーマルなら後ろに乗る人も快適ですしね。たまに息子を後ろに乗せてツーリングに行ったり、キャンプに行ったりするので、あまりイジらない方がいいんですよ。
TOSHI●今、10歳です。昔から「乗せて~」と言っていましたけれど、小さいときは危ないので乗せませんでした。ある程度大きくなってからですね、後ろに乗せるようになったのは。息子を連れて初めてツーリングに行ったのは琵琶湖であった「近江キャンプ」というミーティング。当時はまだ高速二人乗りができなかったので、神戸から琵琶湖まで下道で走りました。片道150kmくらいあるので「居眠りせぇへんかな」、「面白がってくれるかな」と心配しましたが、現地まで走ったら息子が「あれ? もう着いたん?」と。バイクで走るのを楽しんでくれたみたいで嬉しかったですね(笑)。
TOSHI●ショベルを降りてからFXSTCで復活するまでの数ヶ月。“あしたのジョー”が最終回で「燃え尽きた…」となっている、あんな感じだったみたいですよ(笑)。ハーレーはないのに本棚にはハーレー雑誌だらけでしたから、そりゃ辛いですよ。ハーレーに戻ってきたときは、昼間の仕事以外に夜もアルバイトをしましたが、しんどい思いをしてでも戻ってきてよかったと思います。
TOSHI●たくさんいますよ。一緒にハーレーに乗り始めた4人のうち、残っているのは僕だけ。結婚を機にハーレーを降りる、独立するからハーレーを降りる…お金を作らなければいけない事情は人それぞれたくさんありますからね。僕だって家族のためにどうしても売らなければいけないなら、売る覚悟はあります。「家族よりハーレーが大事」なんて馬鹿らしいことは言いません。ただ、いろんな仲間の気持ちが詰まった、大事なバイクを売らなくてすむように毎日をがんばりたい。家族とハーレーは、僕をがんばらせてくれる原動力の1つになっています。
TOSHI●ハーレーは安いものじゃないですから、戻ってくるのは大変かもしれません。周りに「またハーレーに乗りたいねん。でもなかなか…」という人もいます。そういう話を聞くと「少しは無理をしないときっと戻ってこられへんやろうな」と思うんです。僕も今のFXSTCをもう一度手に入れるときは大変でしたから。一時的にはしんどい思いをしないと、楽しさは手に入らないでしょう。「欲しいなら買え、でもがんばれ」ですよ。
TOSHI●一番は奥さんが応援してくれていること。仕事が大変だった時期も一度も「ハーレーを売ってちょうだい」と言いませんでしたから。それには本当に感謝しています。あとは気負いせずハーレーと付き合ってきたことでしょうか。家族サービスを犠牲にしてまで毎週乗ろうとしていませんし、ハーレーを降りなければいけないときは、乗り続けることにはこだわりません。走ることだって“ほどほど”です。長距離を走るのは年に数回、それくらいのペースで乗っているから、ツーリングに出る前は楽しみで仕方がありません。12年乗ってもハーレーに乗るときは未だにワクワクできますよ。
TOSHI●ハーレーだけにこだわらなくなったからでしょうね。カブやヴェスパ、あと義理の兄がBMWに乗っていて、ハーレー以外のバイクに触れる機会も多いんです。カブを手に入れたときなんか、ハーレーとは違うバイクの面白さに感動を覚えました。いろんなバイクに乗るようになり、ハーレーについては年々ゆる~く、気楽に付き合うようになってきました。ハーレーは確かに楽しいバイクですけれど、バイク自体はそれほど特別なものじゃありません。たまたま自分はハーレーが好みに合っただけでしょう。だから「俺はハーレー乗り! ハーレー以外はダメ!」と気負っている人はちょっと苦手ですね(笑)。
Toshiさんがハーレーと付き合うスタンスは私と結構似ている。最初は「ハーレーが好きで仕方がない!」とこの世界に足を踏み入れたのも同じ。長く乗るに連れて「ハーレーも楽しい。でも他にも楽しいバイクはあるよね」と緩いスタンスで付き合うようになったのも同じ。メディアを運営している立場上「ハーレー最高!」と強気のスタンスを持っているものの「(でもハーレーだけじゃないけどね)」と言う気持ちも持っているのが私だ(笑)。ただ、そのくらいの楽な気持ちを持っていた方が案外長くハーレーと付き合える気がする。「ハーレーじゃないと乗る気にならない。カスタムもバリバリやっちゃうぞ」そういう人で10年、20年とハーレーに付き合っている人はどのくらいいるのだろうか。最近はそこが非常に気になっている(ターミー)。