VIRGIN HARLEY |  高橋 康之(アメリカを走るハーレー乗り)インタビュー

高橋 康之(アメリカを走るハーレー乗り)

  • 掲載日/ 2008年01月08日【インタビュー】

ハーレーインタビューの画像

毎年訪れるアメリカツーリング
年に一度の特別なイベントです

今回取材した高橋さんに初めて出会ったのは、2006年秋のアメリカツーリングのとき。そのときアメリカを訪れるのは3度目と聞いていたが、目を子供のように輝かせ、一直線に続くアメリカの道を駆け抜けていたのを今でも覚えている。一般的な話だと、年齢を重ねるにつれて何かに感動する心が落ち着いてきてしまうものだが、50代半ばにしてまだあんな目ができる大人がいるのか驚かされた。「こんな人たちとたくさん出会うことができる、ハーレーとは不思議な乗り物だな」と、高橋さんを見て改めてそう思った。そんな高橋さんがどんなバイクライフを送ってきたのか、毎年のようにアメリカツーリングに出かけるのはなぜなのか、じっくりと話を伺ってきた。

Interview

50歳を前にハーレーに乗りたかった
これが最後のチャンスかな、と

ー8年前、48歳からハーレーに乗り始めたとお聞きしましたが、それまでバイクに乗ったことはなかったのでしょうか。

高橋●10代から24歳で結婚するまでの間は、夢中になってバイクに乗っていましたね。16歳のときにアルバイトで貯めたお金で、初めてのバイクを手に入れました。高校を卒業してからは、週末になると友人と鈴鹿の練習走行に出かけてるほどバイクが好きでしたよ。

ーココ(京都府京丹後市)から鈴鹿って結構距離がありますよ。よほど好きじゃないと毎週は通えませんね。

高橋●レースに出るつもりなんてなかったんですけれど、とにかく楽しくってね。バイクがあんなに好きだったのは、バイク自体が楽しさもあったけど、小さい頃からの環境面も関係ありだと思うんです。私の父親が陸王やメグロ、インディアンなんかに乗っていましてね。タンクの上にしがみついてドライブするなど、バイクが傍にあるのが当たり前の環境で育ったのが大きかったんじゃないかな。だから、僕がバイク好きになったのは当前のなりゆきだったのかもしれません。

ー結婚を機にバイクに乗らなくなったのはなぜ?

高橋●父親から「子供が生まれてくるんだから、バイクは控えろ」と言われたんです。一家の主ですから、「万一バイクで大事故したら、家族はどうなる」ってことなんでしょうね。それで公道でバイクに乗るのは48歳まで控えるようになったんですが…。父親はなぜか、モトクロスやトライアルは許してくれてね。小排気量だから危なくないと思ったのでしょう。本当はそんなことはないと思うんですけれどね(笑)。ですから48歳でハーレーに乗り始めた、と言ってもバイクから離れていたわけではありませんでした。

ー48歳でバイクに戻ってきたのは何かきっかけが?

高橋●子供が学校を卒業したからです。その頃、友人と「どうにかしてハーレーに乗りたいね。50歳になる前に乗っておかないと、この先ずっと乗れなくなりそう」みたいな話をしていたんです。50歳を過ぎても体力的にはまだまだ乗れるんでしょうけれど、家族がいるとタイミングってモノがありますから。子供が手を放れるのを見計らって、妻にお願いしてみたら「子育ての責任は果たしたから、いいでしょう」と。

ーなぜいきなりハーレーだったのでしょう。他に悩んだメーカーはなかったのでしょうか。

高橋●あのスタイルが好きだったのと、あまり高性能じゃないバイクがよかったからです。僕は飛ばせるバイクだとスロットルをどこまでも開けてしまう性格ですから(笑)。ハーレーならスロットルを開けなくても気持ちいいですし、開けたとしてもたかが知れているでしょう?

ー手に入れたハーレーは納車前にいきなりカスタムしたそうですね(笑)。

高橋●雑誌をめくっていたときに、えらくカッコいいカスタム車両を見つけてしまって「コレだ!」と。製作したショップに電話したんですけれど、私の予算には合わず…。中古で97年式のファットボーイを引っ張ってきてもらい、納車前にイメージ通りにカスタムしてもらいました。だからノーマルの状態は知りません。ノーマルパーツは手元にも残っていませんから、もう元には戻せませんね(笑)。

ー丹後半島はツーリングコースとしても素晴らしいですから、納車後にグングン距離が伸びたのでは?

高橋●1年目は1万kmほど走りましたが、忙しくて走る時間を確保するのにも苦労しました。以前は家業で新聞販売店とガソリンスタンドを経営していたので、毎日かなり慌しくて。今は新聞販売店だけですから、少し余裕ができましたけれど。

ー家業で忙しいだけじゃなく、この辺りだと冬にはバイクに乗れない日が続きますよね。

高橋●小さい頃のように雪が降って1m近く雪が積もることはありませんが、冬はあまり乗れません。ハーレーはガレージにしまいっ放し。そんな時期は雑誌やカタログを見て、カスタムについて思いを巡らすわけです。そうするウチに、アメリカのパーツメーカーやショップ、イベントなんかが自然と頭に入ってきて「アメリカに行ってみたいなぁ」と思うようになりました。

何度訪れても飽きることがない
それほど雄大な国です、アメリカは

ーそれでアメリカツアーに参加したわけですか。

高橋●行き着けのショップに行き、そんな話をしていたら「どうせなら向こうでハーレーを借りて、ツーリングもしましょうよ。ツーリングついでにショップやメーカーも見学させてもらえばいい」ということになりまして。ショップが企画するアメリカツアーに参加することになったんです。初めて行ったのは51歳のときでしたね。

ー過去4回も参加していますが、よく奥さんが許してくれますね(笑)。

高橋●僕の中では1年の中で一番特別なイベントですから。年に一度の海外ツーリングだけは仕方がない、そう思ってくれているみたいです。アメリカツアーは毎年10月に行われていて、中止になった年ありましたが、その年は3月のデイトナバイクウィークに行きました。「年に1度はアメリカへ」これが自分への1年間のご褒美みたいなものです。

ーアメリカツアーではかなりの距離を走りますが、体力的に大丈夫ですか?

高橋●2人で1台のハーレーを交代で乗るやり方になっていますから、疲れたらサポートカーの中で休めるんです。過去には70代の方も参加されていますから、まだまだ大丈夫ですよ。何歳まで参加できるかはわかりませんけれど、体力の許す限り毎年参加したいですね。

ー初めてアメリカを走ったときはやはり感動しました?

高橋●アメリカの交通ルールについては聞いてはいたものの、道路の通行が日本と逆なことや、赤でも右折できる信号があるなど、慣れるまでは少し緊張しました。ただ、慣れてしまうと現地の人なら当たり前のことにも感動できます。道端に古いT型フォードが打ち捨てられているなど、ついよそ見してしまう景色がゴロゴロとあるんです。いつも僕だけ遅れがちで、周りからは「高橋さん、よそ見し過ぎ(笑)」と言われていましたよ。ただ、すれ違う車を見ていても面白い。古い乗り物が現役で走っている国なんです。ヴィンテージではなく、実用車として古い乗り物が当たり前に走っているのが日本とは違いますね。街を外れれば、視界の先まで一直線に続く道や、日本では見られない雄大な荒野が広がり、また別の感動が味わえました。アメリカツアーは飛行機が片道十数時間もかかり、そこだけは苦痛ですが、飛行機を降りればこんな楽しみが待っていますから長旅も耐えられます。

ー4度訪れていても、まだ飽きませんか?

高橋●あれだけ広い国ですから、1度で満足することはできません。走る度に新しい場所に連れて行ってもらえますし、まだまだ行ってみたい場所はたくさんあります。

ー今まで行った場所で一番お気に入りだった場所はどこでしょう。

高橋●モニュメントバレーですね。2006年に初めて行くことができた場所なんですが、言葉にできない感動を覚えました。ただ荒野の中に岩がせり出しているだけの場所ですが、アメリカの雄大さが一番感じられる場所でした。雑誌や映画で見たことがあったので、私の中であそこが一番アメリカらしい場所だというイメージがあったのかも。家族や友人にモニュメントバレーの素晴らしさを説明しようと思っても、言葉や写真では伝えられませんね。あそこまで向かう道中の景色、走ってきた長い道のり、乾燥した空気など、モニュメントバレーに至るまでのいろいろなモノが感動を誘ってくれたのでしょう。グランドキャニオンなど、もっと名の知られた観光地はありますが、個人的にはグランドキャニオンはあまり心に響く場所ではありませんでした。

ー走っていて辛かったのは?

高橋●辛いとは少し違いますが、驚かされたのはデスバレーです。世界で1,2を争うほど気温が高くなる場所ですが、暑さと何度も続く同じような景色にやられ、頭がボーっとしてきてしまうんです。日中に走ったのがマズかったのかもしれませんが、同じような道をずっと走っていると、自分が起きているのか寝ているのかがわからなくなってハーレーを停めてしまいました。夢の中でハーレーを走らせているような感覚、デスバレーではそんな不思議な体験ができました。デスバレーを走った日の朝は、シートに霜が降りているようなところをスタートしたのに、日中には50度近い気温の場所を走る…。一日であれだけの寒暖の差を味わったのも初めてでした(笑)。

ーアメリカでハーレーを走らせて気づいたことなどはありましたか。

高橋●大排気量の車やバイクがなぜあの国で生まれたのか、向こうに行けばよくわかりました。あれだけ広い国でモノを運ぶには一度にたくさんの荷物を運ぶ、巨大なトラックが必要でしょうし、それを引っ張る巨大なエンジンが必要なんですよね。ハーレーも何百キロもの長い距離を疲れずに走るためには、日本では無駄とも思えるあの大排気量が必要なのはよくわかりました。日本に住む私たちの視点でアメリカを見れば、非効率に見える部分もありますが、実は意外なほど効率的なライフスタイルがあるように思えました。

ー最後に、まだ、アメリカを走ったことがない方に何か一言を。

高橋●私が初めてアメリカを訪れたのは51歳のときですけれど、できれば若いときに走ってみて欲しいです。感受性が強い若い時期に走るほど、受ける感動は大きいでしょうから。日本にも美しいツーリングコースはたくさんありますが、アメリカの道はまた違います。行けばきっと何らかの刺激を受けるでしょうから、何とか仕事をやりくりして走ってみてください。きっと後悔はしないでしょう。

プロフィール
高橋 康之
56歳、京都府京丹後市在住。1997年式FLSTF所有。48歳でハーレーに乗り始め、現在はファットボーイ以外にもツインカムのダイナも所有する。毎年訪れるアメリカでは50代後半とは思えない元気な走りを見せ、周囲の人を驚かせている。

Interviewer Column

ここ数年リターンライダーが増えてきていると聞くが、高橋さんのバイクとの付き合い方は多くのリターンライダーが憧れるライフスタイルそのもののような気がする。日々の仕事を真剣にこなし、家族も大事にし、その上で存分にハーレーを満喫している。「いい大人がバイクを楽しむ=何かを犠牲にする」というわけではない。人にもよるとは思うけれど、ハーレーとは、バイクとはそこまでストイックな乗り物ではないはず。こういった自然体でのバイクとの付き合い方が理想のバイクライフなのかもしれない(ターミー)。

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