今回ご紹介するのは東京都目黒区のGAO・西川さんだ。GAOさんのイラストを雑誌などで見たことがある方も多いだろう。実はGAOさんはフリーペーパー「ON THE ROAD MAGAZINE」発行人という顔も持つ。もともとは大企業のクリエイターとして勤務していたものの36歳のときに退職、アメリカ大陸横断の旅に出た。この旅を契機に新たな人生をスタートさせたGAOさん。人生への疑問を行動に移し、自らの望む人生を手に入れた。現在までのGAOさんの歴史を辿ることで、皆さんが人生を振り返る契機になれば…そう思いインタビューを行った。
GAO●高校のときに免許を取ろうとしたことはありましたが、母親に「アンタはお調子者だから絶対事故を起こす。頼むからオートバイだけはやめてちょうだい」と懇願されてしまって。ずっとバイクに興味はありましたが、仲間のバイクの後ろに乗せてもらうくらいでした。それでもずっと、乗り物には興味があったので、若い頃は車に夢中になっていました。レースやラリーの真似ごとをしたり、サーキットでレーシングタイヤサービスのアルバイトをしたり、そんな学生時代を過ごしていました。
GAO●子供の頃からアメリカに触れる機会はありました。昔はアメリカの映画やドラマが今よりたくさん放映されていて、そこに登場するアメ車やバイク、飛行機などに夢中になっていたんです。アメリカに興味を持つ原体験になったのはその頃でしたが、大人になるにつれてアメリカに憧れる気持ちが薄れていったんです。その憧れが再燃したのは、社会人になってから。米軍のミリタリージープに出会ったことがきっかけでした。
GAO●社会人になってからは国内A級ライセンスを取り、サーキットで車のレースをやっていたんです。その頃知り合った方が1940年代のミリタリージープに乗っていて。そいつが持つ雰囲気はそれまで知っていた4WDとはまったく別物、ムダを省いた究極の機能美って言うのかな。「これがホンモノか!」とミリタリージープの魅力に一発でやられてしまいました。その方を拝み倒して、そのジープを譲ってもらって。それからですね、またアメリカンカルチャーに傾倒し始めたのは。ジープに乗り始めてから「そう言えば…」と子供時代のオモチャ箱をひっくり返してみました。そうしたらジープのオモチャがたくさん出てきたんです。「子供の頃からジープが好きだったよなぁ。アメリカに夢中だったよなぁ」と昔の気持ちを思い出しました。
GAO●そうですね。あのジープに出会っていなかったら、バイクに乗ることもなかったかもしれません。ジープの魅力って、バイクに近いものがあるんです。昔のジープはフロントウインドウが倒せるんですよ。車なのに風を受けながら走ることができる、気持ち良くていつもウインドを倒して運転していましたね。雨の日にはカッパを着て乗ることもありました。季節が感じられ、雨が降れば濡れる。ジープに夢中になったからこそ、ハーレーにも夢中になれた気がします。
GAO●ジープからバイクにたどり着くまでは少し時間がかかりましたけれど。職場のビルの前に教習所があったんです。休憩室の窓からバイクの教習風景が見下ろせて、毎日眺めていると「バイク、気持ちよさそうだな」と心が疼きはじめて。それが35歳のときでした。僕は思い立ったら行動に移すのは早いタチなので、勢いで大型二輪免許まで一気に取ってしまいましたよ。免許が取れる前にはもうスポーツスターを契約してしまっていましたね(笑)。
GAO●子供の頃に見た映画にハーレーは何度も登場していましたし、免許を取る前からたまに「HOTBIKE(ネコパブリッシング刊)」を買っていました。「ハーレーにはこんなカスタムがあるんだな」なんて思っていましたから。
GAO●週末だけでなく通勤でもスポーツスターに乗っていました。仕事でどれだけストレスが溜まっても、会社を出てヘルメットを被れば全部忘れることができました。まっすぐ家に帰らずに夜中まで走り回ることもありましたよ。ちょうどその頃でしたね「アメリカをバイクで走りたい」と思い始めたのは。自分のスポーツスターをアメリカに持っていって走りたい、そう思い始めました。
GAO●それまでアメリカを車で走る機会は何度かあって「もう少しゆっくりアメリカを旅したい」という気持ちは前々からありました。それに、バイクの免許を取った時期は自分の人生についていろいろ思い悩んでいた頃でもあったんです。当時勤めていた会社は割と自由に仕事をさせてくれました。仕事は面白く、たくさんのことを学ばせてもらいましたが「この仕事を一生続けてもいいんだろうか?」、「何か違うんじゃないか」と思い始めていたんです。
GAO●当時、キャラクターグッズなんかを企画商品化する仕事をしていたのですが「お客さんの顔が見えにくい」ことが悩みでした。販売店の応援で店頭に立つこともありましたが、それでも誰のために仕事をしているのかがわからなくなって。一度、休憩してみようと思って退職を決めました。『1年間は自分のために休みをとり、それからまた新しい人生をスタートさせよう。せっかく休みを取るんだから、前々から思い描いていた、ハーレーでアメリカを走る夢を実現させよう』とね。当時はその旅でこれほど自分の人生が大きく変わるとは想像していませんでしたけれども。
GAO●辞表を出したときから、もう旅が始まっていた気分でしたね。旅先での日記や写真をホームページで公開しようと考えて、退職を決めてすぐにホームページの制作にとりかかりました。当時はまだ個人でホームページを持っている人が少なくて、旅先からホームページを更新する人も珍しかったと思います。
GAO●仕事でインターネットを使っていて「これは面白いツールだな」と思っていました。アメリカから日本に向けてリアルタイムで情報を発信できるなんて面白そうでしょう。それに、周りの友人に「今、僕がどこにいるのか」を伝えておきたくて。実はアメリカ大陸横断の旅では、日本の友人から預かった手紙をアメリカ各地の人に届ける、なんてことを計画していたんです。ホームページを見た友人に「自分の手紙はもうすぐ届けられるんだな」と楽しんでもらおうかな、と思っていました。
GAO●旅に目的ができましたし、多くの人に出会うチャンスも増え、結果として思い出深い旅になりました。アメリカに到着し、ロスから旅を始めたのは3月でした。その頃はまだ寒かったし気候も悪くて辛かったですよ。何日も雨の中を走ったり、雪やヒョウに降られたり、何度途中でやめようと思ったことか。でも、日本の友人、手紙を届ける相手、そして会ったことのないたくさんの人までがホームページの更新を楽しみにしてくれていた。自分を応援してくれる人に背中を押されて、走り続けられました。
GAO●ロスでロードキングをレンタルしました。ウインドシールドがあり、荷物の積載も容易。ロードキングでアメリカを走ってみて「こういう道を旅するために今のスタイルになったのか」とハーレーを深く知る機会に恵まれました。長旅でも頼り甲斐のあるエンジン、疲れを感じさせない大きなシート。ウインドシールドがなければヘッドライトに向かって飛んでくるたくさんの虫に悩まされたでしょう。「ハーレーはカッコだけのバイクじゃない、理由があって今のスタイルになったんだな」と身をもって理解できました。
GAO●辛いことがあったからこそ、幸せに感じられることもたくさんありました。雨に散々ふられたあとの夕日は恐ろしいくらい綺麗で、見とれてしまう。寒いけれど長い距離を走れば、アメリカの不味いコーヒーですら美味しく感じられる。モーテルに辿り着いて浴びるシャワーがどれほど幸せだったことか。つらいときはとことんつらい、でもその分幸せに感じられることもたくさんあるのがバイクの旅、それを存分に楽しめました。
GAO●手紙を渡す方には僕が向かうことをあらかじめ連絡してもらっていましたから、各地で歓迎を受けましたね。でも、その広大さや州の配置をよく考えずに無条件で手紙を預かってしまい、アメリカをジグザグに走ることになりました。「なんて広い国なんだよ!」と、安請け合いしたのを後悔したこともありましたよ(笑)。一応地図を確認してからスタートしたつもりなんですが、走ってみると想像以上に広大な国でしたね、アメリカは…。
GAO●それほど感慨深いものはありませんでした。でも、アリゾナからカリフォルニアに入る州境で「Welcome To California!」と書いた看板を見たとき、目の前のフリーウエイが涙で滲んでしまいました。「まさか自分が涙を流すなんて…」と驚きましたが「これまでの人生で、自分の意思で何かにチャレンジしてやり遂げたことがどれ程あったのだろう」とハーレーを走らせながら考えましたよ。
この旅で初めてひとつの何かをやり遂げたような気がしたんです。途中で何度も挫けそうになって、ニューヨークで旅を終えようと考えたこともありました。そんな経験を経て、もうすぐロスに帰ってこようとしている。そんな思いが感動の涙になったのでしょうね。
GAO●旅の途中に『HOTBIKE』で僕の旅とホームページを紹介していただいたことがありましてね。帰国してから、当時編集長だった池田さんにお礼と帰国の報告をするため編集部にお邪魔したんです。そうしたら池田さんが僕のホームページのイラストコーナーを見てくれていて「HOTBIKEでイラストを描いてみないか?」という話をいただきました。それが僕のイラストレーターとしてのスタートでしたね。
GAO●趣味で年に数点描いてはいました。美大では立体デザインを専攻していましたので、イラストは基礎を学んでいたくらいで、まさか自分がイラストレーターになるなんて想像していませんでしたね。『HOTBIKE』での連載をきっかけに他の雑誌にもイラストを描かせていただくようになりました。36歳で会社に辞表を提出すときは、旅の後の未来も見えず正直手が震えましたが、あのとき人生をリセットする決断をしてよかったと今は思います。 あの決断のおかげでイラストレーターとしての人生が拓け、「ON THE ROAD MAGAZINE」という僕や仲間の作品を発表する場所も得ることができました。今は創ったモノに対する反響がダイレクトに返ってくる。読者の感想を直接聞くことだって出来る。クリエイター冥利に尽きますね。会社員には経済的安定はあったけれど、今の方が自分らしくて充実した人生を歩んでいる喜びがあります。
50人近くの人にインタビューをしてきて、いつも思うことは「好きなことを仕事にしている人は、少年の眼をしているな」ということ。常に好奇心を持ち、仕事をしているからだろうか、若く見える人が多い。少年のような大人にはかなりの人数にお会いしてきたつもりだけれど、その中でもGAOさんは(いい意味で)かなり少年っぽい方だった。夢を実現させるために人生をリスタートさせ、新しい人生の中で自分のやりたいこと、やるべきことをしっかり掴んでいる。36歳のスタートは遅咲きかもしれないが、新しいことにチャレンジするのに年齢なんて関係ない。GAOさんのような人生の選択をする大人がもっと増えてきたら…世の中がもっと楽しくなる気がする。(ターミー)