カンパニーの歴史を代表するアイコン
ウィリーGはじめダビッドソン一族が登場
一年前の2012年夏からはじまっていたハーレーダビッドソン モーターカンパニー(以下 H-D社)創業110周年アニバーサリーセレブレーション。これがモーターサイクルのメーカー単独によるイベントかと驚かされるほどのスケールを見せ付けてきた同社のビッグイベント、最後を飾るのはやはり110年という歴史が物語る“伝統”ということか。ハーレーダビッドソンを生み出した4人の創業者のひとり、ウィリアム A.ダビッドソンの末裔にあたるダビッドソン ファミリーの登場だ。
ビル・ダビッドソン、カレン・ダビッドソンのふたりは、H-D社のブランディングを高めるために籍を置く正統なる血族。そして……めったにメディアの前に登場しないことで知られる大御所、ウィリアム G.ダビッドソン、“ウィリーG”その人が我々の前に姿を現した。いまやハーレーダビッドソンのアイコンであるだけでなく、モーターサイクル界の重鎮として君臨する御仁が、“これまで”と“これから”のハーレーダビッドソンについて、静かに口を開いた。
H-D社の創業メンバーのひとり、ウィリアム A.ダビッドソンの孫にあたる人物で、同社のスタイリング名誉最高責任者であり、ブランドアンバサダーも務める。生まれ育ったウィスコンシン州のウィスコンシン大学で3年学んだ後、ロサンゼルスのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインに編入学。そして1963年、H-D社が車両デザイン部門の設立と同時に入社。1971年 FX スーパーグライド、1977年 FXS ローライダー、1977年 XLCRなどの独創的なモデルを手がけ、以降“ウィリーG”の呼び名で世界中のモーターサイクリストから親しまれる存在に。また、1969年から1981年まで親会社だったAMF(アメリカン・マシン・ファンダリー社)から再び独立するため、彼を含む13人の重役が約7500万ドルという資金を集めたことはあまりに有名。間違いなく今のH-D社の礎を築いた人物であり、世界でもっともハーレーダビッドソンを愛していると言っても過言ではないアイコンである。
1977 FXS LowRider
ウィリーGが生み出した代表的モデルのひとつで、今なおラインナップに名を連ねるFXDL ローライダーの原点。スーパーグライドをさらにロー&ロングにまとめたスタイリングは今なお色褪せることなく、人々の羨望の眼差しを集め続けている。
ウィリーGの息子であるビル・ダビッドソンは、ハーレーダビッドソン ミュージアム担当副社長を務める。サラブレッドとして育てられた彼は1984年にH-D社に入社、そこからさまざまな指導的ポストを経験し、現在の役職に。偉大な父親の後継者として、同社のブランド力向上と全世界のライダーとの関係強化に情熱を注いでいる。2009年と2010年、H-D本社の代表者として来日したことも。特に2010年、HDJ主催のイベント『ブルースカイヘブン』のゲストとして呼ばれた際は“ダビッドソン一族の来日”ということもあり、大きな話題を呼んだ。
[コラム] 取材編集者の総括
110年という壮大な歴史を
体に刻み込まれた9日間
アメリカではライト兄弟が人類初の動力飛行に成功してフォード・モーター社が産声をあげ、ヨーロッパでは第1回ツール・ド・フランスが開催、中南米ではパナマ共和国がコロンビアから分離独立を果たした。生まれた人の名前を見ても誰一人分からず、亡くなられた方のなかに画家のポール・ゴーギャンの名前があって驚いた。日本は明治36年、日露戦争開戦の前年で、東京では日比谷公園が開園し、11月には慶應義塾大学の三田綱町球場にて初の早慶戦が開催された。
それが、1903年という時代の背景。
「この年、ウィスコンシン州ミルウォーキーにある小さな小屋で、4人の男たちがハーレーダビッドソン初号機(シリアルナンバー1)を作り上げたのです」と言われても、38歳ぼんくら男にはあまりに遠すぎる過去の出来事で、“遠い遠い過去のおとぎ話”のような逸話だったハーレーダビッドソン110年史。一昨年、取材にてハーレーダビッドソンでアメリカを走った経験こそあったものの、その歴史については実感の沸かないものでしかなかった。
ミルウォーキーに足を踏み入れるまでは。
まるで1970年代から進化をやめてしまったかのようなレトロな街並み、日本のそれとは異なるおだやかな時間の流れ、そして創業から現在にいたるまでさまざまな縁の逸品が詰め込まれたハーレーダビッドソン ミュージアム……。ミルウォーキーという街のそこかしこでハーレーダビッドソンを育んだ息吹が感じられ、実感なんかできるわけがないと思い込んでいた110年の歴史が、体中をめぐる血流に入り込んでくるかのようにじわじわと感じ取らせてくれた。「ハーレーダビッドソンはアメリカの魂だ」とは、『エアロスミス』ボーカルのスティーブン・タイラーだが、ここミルウォーキーにはハーレーダビッドソンそのものが深く根付いていた。『WELCOME HOME』(ようこそ、我が家へ)という出迎えの言葉は、ミルウォーキーで生まれ育った者にしかできないものだと感じ入った。
かつてないほど壮大で濃密だったハーレーダビッドソン110周年アニバーサリーセレブレーション。ここミルウォーキーは、まさしくハーレーダビッドソンとともに生きる街だった。
VIRGIN HARLEY.com 編集担当 田中宏亮