時代を超えた遺産として蒸気機関車をよみがえらせた大井川鐵道。オートバイを置いた金谷駅から千頭駅まで1時間あまり。大地を震わす轟音とともにモクモクと煙をあげ力強く客車を引くSLの旅を楽しんだあとは、鉄道日本一の急勾配区間 90 パーミル (90 / 1000)を上り下りするために、日本で唯一となる「アプト式」区間がある井川線に乗り換え。ハイライトである接岨 (せっそ) 湖の上を走り終え、しばらく進むと終着駅の井川に到着する。
中部電力の専用線が旅客鉄道となった井川線。その終着駅が井川ダムにほど近い井川駅。列車は小さな客車をディーゼル機関車で押し引きする。
千頭から井川まで全線を走る列車は1日に3~5本程度。所要時間は2時間弱、これを楽しめれば立派な“鉄”である。
さて、その終着駅である井川で待っているものは何か。標高は 686 メートルで、静岡県の鉄道駅ではもっとも標高が高い。これほど山深い、こぢんまりとした駅に大きな期待をしてはならないが、徒歩3分の場所に中部電力の井川展示館があり、水力発電のしくみやダムの役割、そして自然と電気との関係などを楽しみながら学ぶことができる。日本初の中空重力式ダムである井川ダムはすぐ目の前だ。
そして、素晴らしいものがもうひとつある。駅の階段を下ってすぐにある 食事処 やまびこ では、おつゆが黒い「静岡おでん」が旨い。1本ずつ竹串に刺さり、牛すじや豚モツなどの肉からとった出汁がほど良く効いている。見た目は濃そうだが、味は意外とあっさりしていて、種の持ち味がまろやかに生きている。井川線の折り返し列車を待つあいだに、ぜひいただきたい。持ち帰りにも対応しているから、列車のなかで味わうのも格別だ。雑然とした店内は居心地が良く、お店のおばちゃんとたわいのない話をしながら、コンニャクやタマゴを頬張ると、なんだか懐かしい気分。ほっこりとしたひとときに癒される。
真っ黒な煮汁に、1本ずつ串に刺さったタネがグツグツと煮えている静岡おでん。井川駅にある 食事処 やまびこ で味わえる。
あとは来た道を引き返すだけ。午前中に金谷駅を出る SL 列車に乗り、さらに千頭駅で井川線に乗り換えてここまで来ると、すでにお昼を回っているから、全線制覇を目指すとなると日帰りではなかなかの強行軍。よっぽどの“鉄”ではない限り、飽きてしまうだろう。途中、接阻峡温泉や千頭駅からバスで行く寸又峡温泉があるから、そこらへんで宿をとってゆっくりするのが理想的。バイクツーリングに出て、そこまでどっぷり鉄道を楽しむのはどうかというのなら、金谷~千頭間の SL 列車だけを楽しめばいい。実際、ほとんどの人が千頭駅でオートバイやクルマを停めた金谷駅に引き返す。
千頭駅からの帰り道はもういちど SL 列車に乗るのもいいが、かつて関西圏の私鉄を走っていた特急車両も楽しみだ。大井川鐵道では近鉄、南海、京阪からやってきた電車たちが第2の人生を送っていることにも注目して欲しい。豪華さが際立った近鉄 16000 系をはじめ、京阪 3000 系“テレビカー”、高野山への急勾配を登り、河内平野を 110km/h で走行した南海 21000 系など懐かしの特急列車が勢揃いするオールスターであり、そんな本格的な特急用車両たちがワンマンカーに改造されている姿はちょっとユーモラス。
関西の特急用車両が、大井川鐵道では第2の人生を歩んでいる。写真は16000系。ワンマン化の改造が施されているが、内装の豪華さは特急用時代のまま。
乗り倒すのもいいし、並走する国道 473 号線からハーレーに跨りながら眺めるのも楽しい大井川鐵道。怒濤の3連発で書き綴ってしまったが、興味を持たれたらぜひツーリングコースに組入れて欲しい。オートバイで走り通すツーリングとは一味違ったものになるはずだ。
ちなみに「アプト」とネーミングの由来は、カール・ロマン・アプトさんが発明したからで、1869 年頃からスイスやアメリカで実用されはじめ、世界に広まったという。
南海時代は50パーミルの急勾配を登る車両「ズームカー」の初代として知られていた21000系。大井川鐵道に来ても塗装は当時のまま。クロスシート仕様で、車内も快適。
バイク雑誌各誌で執筆活動を続けるフリーランス。車両インプレッションはもちろん、社会ネタ、ユーザー取材、旅モノ、用品……と、幅広いジャンルの記事を手がける。モトクロスレースに現役で参戦し続けるハードな一面を持ちつつも、40年前のOHV ツインや超ド級ビッグクルーザー、さらにはイタリアンスクーターも所有する。