海水浴場の目の前にある民宿「さんちゃん」は、中川三二(さんじ=通称“さんちゃん”)さんが家族で営む家庭的な民宿だった。残念ながら、携帯電話という文明の道具が役に立ってしまうけど、四方を海で囲まれた孤立感が、忙しない日常から切り離されたみたいで心地いい。ボクはビールを飲みながら、お月様を眺めつつ潮騒に耳を傾けた。他にできることは、赤い14インチのテレビを見て眠ることくらい。都会で暮らしていると忘れてしまう、素晴らしき健全さである。
翌日は朝から島には似つかわしくない1200ccもある大きなオートバイで、島を隅々まで探索した。小説のシーンを思い浮かべながらのミニツーリングは、ひとり気ままなのが楽しかった。ここで主人公とヒロインはあぁして、こうしてと妄想を繰り返す。映画やドラマのファンがロケ地めぐりを楽しむらしいが、ボクがやっていることもまさに同じ。傍から見たら、さぞかし気味が悪いだろうな。
島を出る午後のフェリーまでの時間は、再び、民宿「さんちゃん」で過ごした。
「昨日来たのに、もう今日帰るのか?」
ゆったりとした時間が流れているこの島に、ボクだけがあくせくとした大忙しの東京時間を持ち込んだみたいで、なんだか虚しい気分になる。
さんちゃんには、当時7歳になる長女・奏海子(ナミコ)ちゃんと6歳の海帆(ミホ)ちゃんという2人の娘がいて、ひとりぼっちだったボクの遊び相手になってくれた。夜はトランプをやったり、昼間は縄跳びやサッカーをした。オフシーズンに突然やってきた客人は、彼女たちにとっても珍しい存在だったのかもしれない。
帰る間近、ミホちゃんは磯で拾ってきたいろんな形をした石に、6色の油性マジックで魚や猫を描いてボクにくれた。子供らしい可愛いプレゼントにボクの心は癒された。小説のヒロイン「ミーヨ」に憧れて、主人公と同じようにオートバイで10時間もかけて白石島までやってきたわけだが、来た甲斐があったと、その時、確信した。彼女の島には、愛くるしい6歳の「ミーヨ」が、ちゃんとボクを待ってくれていたっていうわけだ。
バイク雑誌各誌で執筆活動を続けるフリーランス。車両インプレッションはもちろん、社会ネタ、ユーザー取材、旅モノ、用品……と、幅広いジャンルの記事を手がける。モトクロスレースに現役で参戦し続けるハードな一面を持ちつつも、40年前のOHV ツインや超ド級ビッグクルーザー、さらにはイタリアンスクーターも所有する。