1948 WR
サイドバルブの750cc4カムエンジンを搭載したWLが登場したのは1937年。その後アメリカは40年に第二次大戦に突入し、45年に終戦を迎えた。そして翌46年、純レーシングマシンであるWRが誕生。
サイドバルブの750cc4カムエンジンを搭載したWLが登場したのは1937年。その後アメリカは40年に第二次大戦に突入し、45年に終戦を迎えた。そして翌46年、純レーシングマシンであるWRが誕生。
スペシャル仕様であるリンカートのツインキャブレターを装備した1949年式のパンヘッドTTレーサー。このキャブレターはS&Sがデュアルスロートを生み出すきっかけともなったパーツである。
スポーツスターの原型となるKモデルは1952年にデビューしたが、それと同時に市販レーサーのKRも開発された。この時期のハーレーレーシング部門は覇気がなく、事実デイトナ200マイルでは1勝もできずにいた。
1964年から一周6kmのバンクが付いたクローズドコースとなったデイトナ200マイルレース。最高速を求めたハーレーダビッドソンカンパニーは、レーシングエンジンXR750をオンロード専用設計の「ローボーイフレーム」に搭載した。
70年に登場した鋳鉄ヘッドの初期型XR750の発展型、アルミヘッドが採用された72年式のXR750。この車両はダートラシーンの中心となってきた伝説のレーサーだ。
吸排気ともにサイドバルブ方式を採用したフラットヘッドを搭載した初めてのモデルがこちらの1929年式のDLである。このエンジンの寿命は長く、実に 1973年までの44年間に渡って採用された名機と言える。
OHVモデルが発表される以前のラインナップを牽引したサイドバルブエンジン。当時のフラッグシップモデルであるスペシャルスポーツのVLDとは違い、この車両は排気量74ciのローコンプモデル、しかも非常に珍しいポリス仕様である。
OHVエンジンを筆頭に高性能化する欧州モデルを意識する以前の純然たるアメリカンモーターサイクルは、サイドバルブであるというビンテージフリークは多い。
1937年にコンペティション用として誕生したWLDR。当初は29年誕生のR系ベビーツインRLDRの血統を受け継いだ3速仕様であった。
第二次世界大戦で活躍したWLA。国外に送り出されたWLAはそのまま現地に残り、米軍が駐屯していた世界各地でその名を耳にすることがあるという。
ドイツ車を手本にして軍用に開発されたシャフトドライブのXA750。エンジン形式はフラットツインを採用し、リアにプランジャーサスを装備して高い走行性能を実現。
WLモデルはその小柄な車体と750ccという排気量から「ベビーツイン」の愛称で戦前から日本国内でも親しまれてきた。
1937年に登場したU系のサイドバルブ。排気量74ciのU/ULなどのモデルに加え、80ciのUH/ULHなどのモデルがラインナップされていた。36年に61ciのOHVナックルヘッドが発売されたあとも、48年まで生産は続けられた。
美しいピーコックブルーに彩られた1949年式のWL。全体的にナックルヘッドモデルのイメージを凝縮したスタイリングであり、均整の取れたテーパーパイプ・スプリンガーフォークをはじめ、随所にその面影を見ることができる。
スポーツモデルのインディアン45スカウトがミリタリー用として採用されたことに対し、ハーレーは39年からWL45アーミーモデルとしてWLAを生産し対応。
第二次大戦が終わりを告げてから7年ほどたった後のこと。アメリカは大戦で痛手を負ったイギリスに対し市場を開放し、あらゆる商品の販売を認めていた。
新型750ccの4カムサイドバルブエンジンを搭載したモデルKが登場したものの、販売店側からはパワー不足との声が多かった。そんな状況を踏まえ、883ccにストロークアップされたKHが登場。
ハーレー45ツイン=750ccのサイドバルブが搭載されたWLDは、1937年に開催された最初のデイトナ200マイル用に製作されたモデルである。
ハーレーカンパニーはモデルKの派生モデルとしてエンジンパーツを見直したレース仕様のKHKをリリース。スペシャルスピードキットが組み込まれた55ciのサイドバルブツインエンジンにKモデル同様のカセット式ミッションが採用された。
2006年式 FLHXに乗るニシさんの自慢のハーレーを紹介します。「自慢のマイハーレー」では、読者撮影会に参加してくれたユーザーの写真をコメント付きで紹介していきます。
1936年式のELナックルヘッド。言わずと知れたオーバヘッドバルブを採用した最初のエンジンであり、以後のハーレーダビッドソンスタイルの原型となった車両である。
ビンテージフリークならおなじみのパーツメーカー「コロニー」社のプレジデントが所有していた一台。61ciのOHVスペシャルスポーツモデルである。
ここまでのコンディションを誇る1939年型のELモデルは存在しないであろう。TEAK RED×BLACKのツートーンカラーのオリジナルペイントにデラックスバディーシートやサドルバッグも発売当時のままの純正品。
1940年式のナックルヘッド、排気量61ciのハイコンプレッションOHVエンジンを搭載するスペシャルスポーツソロモデルのELである。当時の生産台数は3893台。