VIRGIN HARLEY |  第26回 MOTOトレインという夜行列車があったという話しツーリング・ゼミナール 青木 タカオ

第26回 MOTOトレインという夜行列車があったという話し

  • 掲載日/ 2012年09月25日【ツーリング・ゼミナール 青木 タカオ】
  • 執筆/フリーライター 青木 タカオ

16歳のとき、2人の兄がオートバイに乗っていたこともあり、ボクはすんなりと中免を取ることを親から許された。長男が中古のヤマハ RZ50 を買ったときは「そんなもん、返してこいっ!」と猛反対した両親だったが、3番目となると諦めていたのか、そこはなぜか寛大だった。兄たちは 50cc のバイクで走るたびにキップを切られ罰金を支払ってばかりだったから、どうせ乗るなら原付よりも 250cc くらいの排気量があった方が良いということが、オートバイにはまるで関心のなかった親にも解っていたのかもしれない。ボクが免許をとる頃には長男はヤマハ FZ400R、次男はカワサキ GPZ400F に乗っていた。

生まれてはじめの免許証を手にしたボクは、中古バイクショップで13万円の値が付けられていたカワサキ GPZ250 ベルトドライブを買った。レーサーレプリカ全盛の時代にビキニカウルがチョコンとついた外装は、他のバイク乗りから見たらさぞかしダサかったはず。車名にある「ベルトドライブ」ってのも意味さえわからなかったが、「彼のオートバイ、彼女の島」をはじめとした片岡義男の小説を読んで、その世界に引きずり込まれた自分としては、とにかくカワサキの並列2気筒が欲しかった。小説の主人公は同じカワサキでも W1 や W3 に乗っていたから、GPZ250 ではずいぶん違うけど、当時のボクには、それで十分だった。

オートバイに乗ったら世界が広がった。ボクが通っていた都立高校は、免許をとるのは OK。ただし、学校に乗ってくるのは NG だったから、家に帰るとヘルメットを被ってすぐに出かけた。東京湾に海を眺めにいったり、電車でしか行けなかった都心に用事もないのにフラフラ出かけた。とにかく毎日、バイクに乗りたくて仕方がなかった。

北海道へ行ったのは高校2年生の夏休み。当時は「MOTOトレイン」というオートバイを乗せて上野から函館まで走る夜行列車があって、それに乗って行った。夜行急行列車「八甲田」にバイクを積むための貨物車を2両連結し、ライダーは専用の寝台車に乗るというもので、たしか上野駅を夜に出て函館に昼前に到着した。

「MOTOトレイン」は 90 年代前半にとっくに廃止になってしまったが、高校2年の夏と大学生の頃、2度の乗車はいま思えば貴重な経験だったかもしれない。夜汽車で北の大地を目指す旅情ムードは格別で、あの雰囲気をもういちど味わってみたいものだ。

函館で MOTOトレインを降りると、札幌までがけっこう長い。モトトレインが廃止になると、その後は大洗ー苫小牧のフェリーで北海道へ行くようになるが、一気に苫小牧まで行けるのが、なんとありがたいと感じたことか。そういえば、東京-釧路という道東ツーリングにはうってつけの航路も昔はあった。東京を深夜に発ち、釧路には翌々日の朝着く。

青木タカオさんの写真

北海道で撮った写真を探すとヘンな写真が出てきた。荷物を満載にしたスポーツスター 1200 カスタムで、記念撮影した場所はなぜか帯広競馬場。ばんえい競馬を開催する右回りのダートコースだ。

青木タカオさんの写真

北海道は林道の宝庫。そして、スポーツスターなら多少のダートも行ける。撮影データを見ると、2005年6月に撮影している。この頃の北海道は、まだまだ寒い。

青木タカオさんの写真

知床に行ったら「セセキ」と「相泊」の温泉に入らなければもったいない。セセキ温泉はセセキ海岸の岩場にある塩泉で、岩礁から湧き出した湯船は潮が満ちてくると海中に没する。

青木タカオさんの写真

北海道で思い浮かぶのはホクレンのガソリンスタンド。毎年、夏になるとライダーキャンペーンをやっており、スタンドでもらえるフラッグを荷物に刺して走ったもの。聞けば、いまは有料で1本 100円とのこと。

プロフィール
フリーライター
青木 タカオ

バイク雑誌各誌で執筆活動を続けるフリーランス。車両インプレッションはもちろん、社会ネタ、ユーザー取材、旅モノ、用品……と、幅広いジャンルの記事を手がける。モトクロスレースに現役で参戦し続けるハードな一面を持ちつつも、40年前のOHV ツインや超ド級ビッグクルーザー、さらにはイタリアンスクーターも所有する。

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