沢木耕太郎の『深夜特急』を読み、自分も海外をバックパッカーで放浪してみたいと思ったのは大学生の頃。まずはバンコクに行ってみようと格安チケットを買って、一人旅が始まった。ドンムアン空港に降り立つと、そこは熱気にあふれる東南アジアの国だった。空港から路線バスでバンコクの市内に入り、たしかバスの路線図を見て適当な場所で一度バスを乗り換えフワランポーン駅 (バンコク中央駅) に向かった。もちろんタイ語なんて読めないから、すべてあてのない勘まかせで、デタラメに放浪したかったその頃の自分にはそんな旅がとても心地よかった。
国際河川であるメコン川もタイ北部、ラオスとの国境ではとても細くなる。写真はチェンセーンという町とチェンコーンという町の間で、周辺はタイの中でもとくに田舎である。
外国人バックパッカーのたまり場として知られるカオサン通りのゲストハウスに辿り着くと、毎晩、日本よりも安いオカネで遊び回れるから日本にいるよりも刺激的だった。現地では十分にボッタくられているのだが、それでもアレもコレも安い。熱い日中はシンハービールやチャーンビールを飲みながらボンヤリ過ごし、夕方になってから出かけて回る。同じような旅をしている欧米人たちとカタコトの英語で言葉を交わすのも楽しかったし、トゥクトゥク (オート三輪車のタクシー) の値段を交渉するのも面白かった。運転手の言い値から半額くらいにまで値切れるようになると、バンコク市内の観光名所も一通りまわっていた頃で、次はマレー半島を南下するという漠然とした目的があった。小学生の頃はとにかく鉄道が好きで、上野駅のホームでブルートレインを眺めるのが好きだったから、マレー行きはぜひ寝台列車で洒落込むことにしようと日本を出るときから決めていた。
いまはどうだか知らないが、10年以上前ボクが行った頃は、田舎町に行くとガスステーションはなく、町の売店でガソリンを買った。それにしてもHONDA XLR250BAJAが懐かしい。
鉄道好きのままでは、女の子にモテないと悟ったのはサッカー部に入った中学生の頃。それ以降は鉄道オタクだった自分はなかったことにしてサッカーに打ち込み、高校生になるとオートバイの免許をとり、バンドブームも押し寄せ、今では言えないがライヴハウスでささやかな LIVE を何度もやった。そして、鉄道のことなんかすっかり忘れていたのだが、この列車旅行を機に自分の鉄道好きを改めて実感することになる。
フワランポーン駅を出発したバタワーズ (マレーシアの地方都市) 行きの夜行列車は、自分が小学生の頃に家族で乗ったブルートレインのような旅情があって、忘れていた鉄道への情熱を呼び起こすきっかけとなるには十分なものだった。線路の繋ぎ目をガタンゴトンと音をならして走り、一晩中轟音を鳴らして走り続ける。自分は何もやることはなく、ただ真っ暗な窓の外を見て、売店で買っておいたビールを飲むだけ。オートバイの旅と決定的に違うのはとにかく自分が受け身であることで、自分が列車の発車時刻に合わせて行動し、乗り込んだら目的地に到着するのをひたすら列車の中で待つのである。
【左】何度も乗ったタイの国鉄。ボクは夜行列車に好んで乗った。ホームには犬が寝っ転がってたりして、とにかくエキサイティング。三等車だと席に座るのもタイヘンで、笑顔でコミュニケーションをとって荷物で塞がった席をあけてもらう。【右】ホームではいろいろなものが売られていて、それを眺めているのも楽しい。昔の日本がそうだったように、長距離列車はみんな夜行。新幹線なんかない、素晴らしき時代だ。
そのときの旅はマレーシアを抜けて、シンガポールから成田に戻るという貧乏旅行だったが、そこからボクは何度もタイを訪れては国鉄に乗り、夜行列車に揺られることになる。日本では乗れない、もっとも料金の高い個室寝台をとったり、いまの日本では味わえない三等車の四角い椅子に座ったり、鉄道に乗るという行為をとことん楽しんだ。
何度目かにタイに行ったときは、北部の町チェンマイでレンタルバイクを借りて走ってみた。最初は 100cc くらいの小排気量車で街の中をウロウロするだけで楽しかったが、そのうちレンタルバイク屋で一番大きな 250cc のオフロード車を借りて3泊くらいのツーリングに出掛けた。
農村に行くと 250 のフルサイズオフローダーはとても珍しがられた。それは人間だけでなく、家畜たちも。東南アジアは喧噪の夜の街も独特の雰囲気で好きだが、田舎のノンビリとした平和な暮らしを見るのも素晴らしい。
タイ東北部の山岳地に入り、未舗装の山道を走っていると電気も通っていない村に辿り着いたり、メコン川に沿ってラオスやミャンマーを対岸に見ながら走ったり、それはそれはのどかなツーリングだった。危ない目に遭わないことを知ると、鉄道で移動してはその町でバイクを借りてツーリングという合わせ技に没頭。ついに東南アジアの鉄道旅行と、大好きなバイクを一緒にして楽しんでしまうのだった。
子どもが生まれてからは、そんな旅はすっかりしなくなってしまったが、あのむせ返るような南国の夜の空気が今となってはとても懐かしい。アジアの街の喧噪に溺れるような、あの頃のだらしない日々も自分にとっては宝である。
困るのは看板。とにかく読めない。大きな幹線道路だと英語表記がある。でも、とくに急いで着かなければならない目的地はないのだから、道に迷っても問題はない。
田舎町の若者はとにかく退屈そう。珍しい日本人と大きなバイクが来たことが、とても嬉しそうだった。
バイク雑誌各誌で執筆活動を続けるフリーランス。車両インプレッションはもちろん、社会ネタ、ユーザー取材、旅モノ、用品……と、幅広いジャンルの記事を手がける。モトクロスレースに現役で参戦し続けるハードな一面を持ちつつも、40年前のOHV ツインや超ド級ビッグクルーザー、さらにはイタリアンスクーターも所有する。