箱だけは付けるまい。あれを付けちゃったら、何かこう、自分の中の大事な一線を越えてしまいそうな気がする。
そう思っていた僕が883に箱を付けたのは、確か新車で購入してから半年後。もちろん、かなりの逡巡はあった。でも目前に迫った北海道ツーリングに大切な一眼レフカメラを持って行くとなると、手持ちのナイロン製バッグではどうにも力不足で、丈夫で雨風がしのげる箱が魅力的に思えてくる。というわけで、GIVIのトップケースとジョッキー製キャリアを購入したのだが、当初の僕は北海道から帰ったらこれらを外し、以後は“ここぞ”というときだけに使うつもりだった。やっぱり883というオートバイは、箱がない姿のほうがカッコよかったので。
だかしかし、あれから約5年間、僕の883に箱はほとんどずっと付きっぱなしである。そうなる予感は北海道を走っているときから、いや、実は箱を付ける前からあったのだが、この便利さを知ると、カッコに対するこだわりなんてどうでもよくなってしまう。そして、意外にあっさりこの結論を出した自分に対して、僕はちょっと残念な気持ちになったのだった。
少なくとも20代までの僕にとっては、カッコいいは便利より上だったはずである。バンソンの革の上下やMA-1やN3-Bを愛用し、ブーツはレッドウイングのエンジニアで、ツーリング時は必要最小限の荷物をタンデムシートにくくりつけ、時計や地図はあえて持たない。そういうスタイルがカッコいいと思った背景には、『イージーラーダー』や『ワイルドワン』といった映画、『サムライダー』や『キリン』といった漫画からの影響が思いっ切りあるんだけれど、あの頃の僕は、このスタイルを一生貫き通そうと思っていた。ところがここ最近は……。
身に付けるモノはすべてヒョウドウやFORMAといったライディング専用品になり、883のステムの上にはアナログ式の時計が備わり、ツーリングには必ず地図を持っていく。そしてさらに箱が付いたとなると、これじゃもう、普通のツーリングライダーじゃないか。どうしちゃったんだろう僕は。もう少しこだわりのある男だと思っていたんだけどなあ。
便利さと快適さにほだされていったここ10年を振り返ってみると、世間の荒波にもまれて丸くなったような気がして、それは僕にとってはやっぱり残念なことなのだが、しかしまあ、これが大人になるということなのかもしれない。そしてそんな僕が最近になって危惧しているのが、グリップヒーターと電熱ジャケットである。この2つを付けたら真冬のツーリングが快適になるのは十分わかっているものの、あれを使っちゃたら、何かこう、自分の中の大事な一線を越えてしまいそうな気が……。
1900年代初頭の旧車から最新スーパースポーツまで、あらゆるバイクに興味を示す業界16年目のフリーライター。最近のハーレーではFXCWC ロッカーCとVRSCF V-ROD マッスルがお気に入り。愛車は’06年型スポーツスター883、’76年型トライアンフT140V、’09年型スーパーカブ50など。