木村信也の渡米後、ゼロエンジニアリングの責任者となった前田紅石。ゼロを立ち上げる前から木村、古参メカニックの熊谷と共に働き、ショップを任されすでに2年が経とうとしている。
13年間ゼロのファクトリーで黙々とカスタムを手掛けてきた前田は言う。「マシニングを駆使したマシンにはない、人の手で作った温もりを感じさせる雰囲気に仕上がったかな。
ベースは67FL。ドラッグレーサーのテイストでエンジンはSTDの97ci。オーナーからの要望を具現化したマシンを見れば明らかなように、その豊かな創造性は他ショップとは一線を画す。
地を這う戦闘的なスタイルが特徴的なドラッグレーサー。前後19、18インチのホイールをセットし、マシン全体の自然なラインに留意し製作された。タンクやフェンダー等のアルミパーツは、当初よりポリッシュメイクと決められる。故に金属の持つ冷たい質感を生かし、プロジェクターを埋め込んだカウルは攻撃的なサメの目をイメージしバランスを取っている。
70年代後期から80年代初頭にかけたYAMAHA TZベースのMORIWAKIレーサーをほうふつさせるフレームライン。このマシン最大の見せ場となるスタイリングは、意外にも国産車がイメージソースとなっている。
自身もKAWASAKI Zを所有し、当時鈴鹿100耐に出走していたGSレーサーに傾倒した過去を持つ前田。バイク全般が好き。イタ車や英車、どこの国か分からないバイクもたくさん扱ってきたと言う。
そして昔のバイクに共通して言える「手作り感」。「いかにも」ではなく、あくまで「サラッ」と。マシニングではなく、手作業の温もりを大切にしている。
ゼロのマシンに一貫して息づく作り手の体温。大量生産や分業製が波及するカスタムシーンにおいてそれは、ものづくりに携わる者の、そしてゼロエンジニアリングのプライドである。