今回ご紹介するのは大阪府高槻市の「Motor Cycle MARS」代表、高谷 武至さんだ。1986年、当時は「ハーレー入門者用」と言われていたスポーツスターを購入。それ以来、20年もの間スポーツスターを楽しみ続けている筋金入りのスポーツスター乗りだ。エボリューションエンジンのスポーツスターをユーザーの立場で、ショップの立場で見続けてきた高谷さんに今回はスポーツスターの魅力について多いに語っていただいた。ビックツインとは一味違うスポーツスター。私個人もどっぷりと漬かっているスポーツスターの楽しさの一端を感じていただければ嬉しい。
高谷●高谷個人が20年間好きで乗っているからスポーツスターに偏りがちですけれど…もともとはショベルヘッドや初期のエボリューションビックツインの整備を学んでいた人間ですから。「スポーツスターだけ」ではないと書いておいてくださいね。
高谷●高校の頃にオートバイの免許を取って、それからずっと峠小僧でした。「いかに峠を速く走れるか」。そればかり考えながら、レプリカバイクに乗っていたんですよ。そうやってバイクにハマっていくうちに「好きなバイクを仕事にしたいな」と思うようになりました。
高谷●いえ、一時はその夢はあきらめて別の道に進みました。大学生の頃、当時行きつけだったバイクショップでアルバイトをしていたんですが、そこのオヤジに「将来はバイク屋になりたいんですけれど、どうすればバイク屋になれますか?」と相談したことがあって。オヤジに「整備の専門学校を出ていないとなぁ…それでも車の仕事の方が多いし。バイク屋は難しいよ」と言われていたんです。「今から考えると何でそれだけで諦めたのかな」と、思いますけれど。求人は少ないし、縁故もない、一般のバイク好きの大学生が飛び込める業界じゃないと思ってしまったんですね。かと言って大学にそのまま残っても、やりたいことは特にない。大学を中退して、手に職をつけられる仕事を探してサラリーマン生活を始めました。
高谷●クーラーなどの空調整備の仕事です。一応、大学では「電子工学科」に籍を置いていたので空調を整備するエンジニアとして小さな空調設備会社に採用されました。最初は家庭用のクーラーばかりを修理していたんですが、研修を受けて経験を積むと大きなビルの空調設備のオーバーホールを任されるようになったんです。この仕事が今の僕に至る大きな転機になりました。
高谷●空調設備とバイクのエンジンは基本的な構造が似ています。12気筒だとかの大きなコンプレッサーのような設備なのですが、大阪中のビルを回って毎日オーバーホールをしているうちに、ふとコンプレッサーがバイクのエンジンに思えてきたんです。オーバーホールした機械を始動させたときの何とも言えない満足感はバイクのエンジンのオーバーホールに似ているなとか。始動させた機械を見ていると「コイツに車輪をつけて走らせたら、どんなバイクになるんやろうな」と考えるようにもなって…。一時は諦めた「好きなバイクを仕事に」という夢がまた燃え上がってしまいました。そう思ったときは、もう26歳でいい歳だったんですけれどね。
高谷●勤めていた会社の社長を含め、反対されましたよ。「エエ歳して何を考えてるねん」だとか「せっかく技術が身についたところやのに」って当然の話なんですけれどね。でも、一人だけ先輩が「やったらエエ。まだ夢をあきらめる年齢やないから」と応援してくれて。遅まきながら26歳でバイク業界に身を投じることにしたんです。
高谷●たまたま募集があって、採用してもらえたのが国産の逆輸入車やハーレーやドゥカティなどといった外車専門の総合ショップだったんです。僕も入社するまでは、総合ショップだと思っていましたが、いざ入社すると実際はハーレー専門店だったというわけです。ハーレーの仕事がしたくて、この世界に入ったわけじゃなかったんですけどね(笑)。
高谷●しばらくは相変わらずレプリカに乗っていました。先輩には「ハーレーショップにレプリカで来るなよ…」と言われていましたけれど、根が峠小僧でしたからね。でも「仕事でハーレーを触っているんだから」とショベルヘッドのローライダーを試乗してから少し見方は変わりましたね。決して速くはないけれど、下から突き上げるようなトルク、モリモリとした加速感「なかなか面白いかも」と思えて。しばらくしてから下取りで入ってきたショベルヘッドのワイドグライドを買ってみることにしたんです。
高谷●当時はエボリューションの初期モデルが出始めの頃ですし、並行輸入ではまだショベルヘッドの新車が入ってきていた時代ですから。下取り車のワイドグライドもチョッパースタイルになっていましたけれど、エンジンは綺麗で調子がよかったのでよく走りましたよ。
高谷●僕はどんなバイクでも乗り方はだいたい同じですからスタイルはあまり関係ないんです。「スロットルは全開か閉めるか」です。当時のレプリカ仲間の後ろをチョッパーで着いて走り、峠にも行っていましたよ。でも、直線や峠の上りはトルクがあるので誤魔化せるんですが、峠の下りだけはどうしようもないバイクで。「チョッパーやから仕方がない」と思いましたが、口惜しくて仕方ありませんでしたね。そんなときですよ、スポーツスターに出会ったのは。
高谷●そうです。1986年に883が発売されて、それはすぐに試乗する機会に恵まれました。最初は「遅いなぁコレ」と思っただけでしたが、少しすると883を1200ccにボアアップしたスポーツスターが入ってきて。まだ1100ccのスポーツスターが日本に入ってきていなかった頃に、1200ccにチューンされたスポーツスターを販売することになったんです。入荷した車両の登録のために車検場で走らせてみたらこれが面白くて。「これ、エエかも」と思ってすぐに自分も手に入れましたよ。それが僕とスポーツスターの馴れ初めです。
高谷●ブレーキとサスペンションはひどかったですけれど、少し手を加えてやれば充分走るバイクでした。試しに仲間が乗っていた当時人気のNSR250のお尻に着いて走っても引き離されない。エンジンのフィーリングもいいし、結構攻めることもできる。自分好みの1台に出会ったな、と思いましたね。当時はスポーツスターなんて誰からも注目されていなくて。「これHONDAの新車?」と言われることもありましたよ(笑)。でも、仕事帰りに自分のスポーツスターで走っていると「『十数気筒もある空調機械がバイクのエンジンだったら…』と考えてた頃、自分が求めていたバイクはスポーツスターだったのかも」と、ふっと思えてきて。レプリカもチョッパーもいろいろなバイクに乗ってきましたけれど、スポーツスターが僕にとってはベストなバイクかな、と思うようになりました。
高谷●整備技術だけじゃなく、営業や経理も学びたくて、全部経験させてもらえるショップに転職してからですね。当時はまだSSCはなくて、スポーツスターだけじゃないドカティなどのツインエンジンのバイクが競い合う「バトルオブツイン」というレースしかありませんでした。新しいショップでお客さんのスポーツスターのレースサポートメカニックを経験したり、アルミフレームのスポーツスターをお店で製作したり…そのうち、自分でも走りたくなりまして。借金をして、自分の経験をすべてつぎ込んでレーサーを1台製作して走ってみたんです。それを走らせた頃にちょうどスポーツスターだけで競い合うSSCが始まりました。
高谷●全開で走っている最中にガス欠になってしまって。エンジンがロックしてエンジンからオイルがブワっと噴き出して…。時間とお金をかけた結晶がパァでした(笑)。それからしばらくはレースで走っていなかったのですが、92年に独立して「Motor Cycle MARS」を立ち上げてからは、前に壊してしまったスポーツスターの仇を取るために、またSSCに参戦し始めました。90年代前半のSSCはいろんなショップがチームを作って参戦していて、スポーツスターレースがかなり盛り上がっていて面白かったですよ。レース用のパーツも欲しいものがなかったり、あってもなかなか手に入らなかったりでした。だから、バックステップやハンドルなど欲しいものは寝る間を惜しんでワンオフで作っていましたね。スポーツスターレースにアツくなりすぎたおかげで商品化したパーツも結構ありました。
高谷●「やっていて楽しい」これが一番ですよ。あとはエンジンチューンの経験を積めたことぐらいでしょうか。一時はこれ以上やるとエンジンが壊れるぞ、というギリギリのところまでエンジンをチューンして走っていましたから、エンジンをダメにしたこともあります。でも、そのおかげでスポーツスターのエンジンはどこまでやれば壊れるのか、どこが壊れやすいのか、を存分に勉強させてもらえました。今、スポーツスターがこれだけ人気なのは、ウチだけじゃなく全国のショップがそんな風にスポーツスターレースに情熱を注ぎ込んでスポーツスターを盛り上げてきたからなのでしょう。レースでスポーツスターが注目されたからこそ、今いろいろなスポーツスターのカスタムスタイルがあるような気がしますね。
高谷●いえ、まったく(笑)。でも、ハーレーの中ではサイズもトルクもスタイルも、バランスが取れていますから楽しみやすいんでしょう。今はスポーツスターが10台集まれば10種類のカスタムを見ることができます。スポーツスターは「ハーレー初心者のエントリーモデル」というイメージからやっと脱却して、今は自由に楽しめるバイクになったのでしょうね。
スポーツスターを愛する物同士、高谷さんとはいろいろなところで顔を合わす機会があった。スポーツスターで九州や四国と楽しそうに出かけていく高谷さん。昔は誰にも知られていなかったスポーツスターだけれど、今やスポーツスターを愛するオーナーは全国各地にいる。それぞれのスタイルで自由に楽しまれているスポーツスターを見ながら、高谷さんはいつも「お父さん」のような眼差しでニコニコしている。スポーツスター好きのショップは全国各地にあるけれど、高谷さんほど古くから日本のスポーツスターを盛り上げてきたショップは珍しい。日本のスポーツスターシーンを育てあげた一人と言っても過言ではないだろう。(ターミー)