VIRGIN HARLEY |  富樫 秀哉(HIDE MOTORCYCLE FACTORY)インタビュー

富樫 秀哉(HIDE MOTORCYCLE FACTORY)

  • 掲載日/ 2006年07月01日【インタビュー】

ハーレーインタビューの画像

ガチガチのスタイルはいらない
ヒデモっぽい雰囲気があればいい

今回ご紹介するのは神奈川県川崎市の「HIDE MOTORCYCLE FACTORY」代表 富樫 秀哉さん。ハーレーの枠に捉われない、独創性のあるモノ創りを得意とする“創り手”だ。富樫さんの創るカスタムバイクからはハーレーらしいアメリカの匂いだけでなく、英国などのヨーロッパの匂いまで感じられる。ヨーロッパと言っても荘厳な雰囲気が漂うわけではなく、どこかポップさが漂い親しみやすい雰囲気を持つ。数多くのカスタムショップがある中で富樫さんの創るハーレーがなぜ周りと違って見えるのか。そのヒントを探るため富樫さんにお話をお聞きしてきた。

Interview

カスタムの自由度の高さ
だからハーレーを選びました

ー富樫さんは京都の嵐山で生まれ育ち、お父さんは西陣織の染織家だとか。「和」に囲まれて育ったのですね。

富樫●たまたまそういう環境だっただけで、そんな周りの環境を意識したことはほとんどありません。嵐山は確かに風光明媚な観光地ですけれど、僕にとってはただの「地元」。父親の仕事も、小さい頃から眺めてきましたが「後を継げ」と言われることもなく、ごく普通に育てられましたよ。

ー京都の芸大に入学されたのは周りの環境に影響されて、ではないのでしょうか。

富樫●僕が入学したのは「情報デザイン学科」というところで。「和」を学ぶというより「広告デザイン」を学ぶところでした。生まれ育った環境や、芸大に籍を置いていたこと、周りから見ると「富樫のルーツはそこにある」と見えるようで、よく質問されますが…たぶんあまり影響はないと思います(笑)。

ー広告デザインを学んでいたんですか? ハーレーとはまったく畑違いの世界ですね。

富樫●大学は1年半ほどで退学しました。入学したときから「何か違うなぁ」と思っていたんです。大学の授業で自分がの作品をプレゼンする機会が多くあったのですが、それが嫌いで。作品の評価が100あるとしたら、作品自体の評価が50、作品のコンセプトをプレゼンすることの評価が50、明らかに「オマエそんなこと考えて作ってないだろ」という人もいて「自分の作品+α」をアピールするプレゼンは大嫌いでした。でも、そもそも「情報デザイン学科」はそういうことを学ぶ場所なので、間違ったことをやっているわけじゃないんですけれどね。僕が入る学科を間違えたんですよ(笑)。それに、当時の僕は「デザインは人に教わるものじゃない」と勘違いしていたこともあって、大学にはあまり顔を出しませんでした。大学に行くよりも、自分の「SR」を触っていた時間の方が長かったんじゃないかな。

ーSRは高校の頃から自分でカスタムをしていたそうですね。

富樫●SRでコケてしまって、自分で簡単な修理をしたことがあったんです。修理ついでに要らないパーツを外していったら「意外と簡単に触れるんだな」と思いまして。それからです、自分でできることは、自分でやるようになったのは。でも、SRのフレームを真っ赤に塗って「カッコいい!」と勘違いするような、今考えると恥ずかしいカスタムをしていましたね。昔は「人と違う」だけでカッコいいと思っていました。

ー昔から自分でバイクを触ってきて、それを仕事にしようと思ったのはいつ頃なのでしょうか。

富樫●大学に入ってから、ですね。大学に行かず、バイクばかり触っていたときに「大学を卒業しても、きっとバイクで働くんだろうな。それだったら大学を辞めて今から働いてしまえ」と思ったんです。

ーそのときは、もうハーレーに乗っていたのでしょうか。

富樫●先輩からショベルヘッドのFLを借り、しばらく乗っていたくらいですね。「乗ってみて欲しくなったら60万円で売ってあげるよ」と言われて3ヶ月ほど乗っていましたが、オイルは漏れるは、エンジンは突然停まるは、あまり状態のいいFLじゃありませんでした。今思うと買っておけばよかったと思いますけど。初めてのハーレーはそんな状態だったのに、ハーレー自体には憧れがありました。これほど切ったり貼ったりができるバイクはハーレーくらいで、モノ造りをする素材として、一番魅力が感じられるバイクだったんです。ですから、バイクの世界で仕事をすると決めてから、ハーレーショップで働くことしか考えていませんでした。

ーうまい具合に仕事は見つかりましたか。

富樫●ハーレーにも乗っていない、未経験者の僕を雇ってくれるショップはさすがにありませんでした。なので「まずは一般のバイクショップで修行し、技術を身につけてもう一度ハーレーショップの門を叩こう」と働く場所を探しました。あちこちに電話をかけて、やっと神奈川のバイクショップでの住み込みの仕事が見つかりました。

ーなぜ地元京都ではなく、東京に出たのでしょう。

富樫●京都に働ける場所がなかったんですよ。どうせ京都から出るなら、大阪に出るのも東京に出るのも大した違いはない、それならハーレーショップが多い東京に行った方がいいだろう、と。最初に働いたショップにも「ホントはハーレーをやりたいけれど今はどこも働かせてくれるところがない。技術を身につけたら辞めて、ハーレーショップに勤めます」とハッキリ伝えていました。その代わり給料は安かったですけれどね。でも、勉強させてもらっている身でしたから、そこは割り切って真面目に働きました。

頭の中でカスタムを完成させる
それが一番難しい作業です

ー次に働いたハーレーショップはどうやって見つけたのでしょうか?

富樫●休みの度にいろんなショップに直接お邪魔して「ここは」というショップを探していたんですよ。働けるならどこのハーレーショップでもいいわけじゃなかったので。

ーどんな条件があったのでしょうか。

富樫●カスタムをやっていること、自分のところで内燃機まで触っていること、この2つですね。ハーレーのことを一通り学べるショップで働きたかったので、条件を満たすショップを探して関東だけでなく、名古屋の方まで足を運んだこともありました。住み込みで働きはじめて1年半がたった頃、希望通りのショップが見つかり、やっとハーレーを触れる職場に進めました。

ーそこでの仕事が終わってからも、いろんなところに技術を教えてもらいに行っていたとか。

富樫●カスタムをやるからには、溶接などの金属加工の技術の習得は避けられませんよね。溶接などは、見よう見まねでやっている人もいますが、金属強度などの安全に関る重要な技術ですから、職人の方に基本から教わりました。

ー初めてのハーレーを手に入れたのもその頃なんですよね。

富樫●エンジンやフレームなど、使える部品をかき集めて、自分でショベルヘッドを組み上げました。そのショベルは今も手元にありますが、自分の原点になったハーレーですね。仕事が終わってから、そのショベルをベースに思い描くカスタムを形にしていましたから。

ーそうやってコツコツと技術を習得し、独立されたわけですね。

富樫●ショップを辞めてから1年くらいは、昼間はアルバイト、夜は個人で借りたガレージで自分の好きなものを作る日々を送っていました。バイトで稼いだお金で少しずつ機械を揃え、仕事が終わると夜中の2、3時まで作業をする、そんな毎日でした。そうするうちに仲間がポツポツとガレージに遊びにきはじめて、車検や整備も請け負うようになったんです。

ーその当時から「HIDE MOTORCYCLE」の看板は上げていたのでしょうか。

富樫●そこは自分のために借りたガレージで、お客さんを呼ぼうと思って選んだ場所じゃなく、わかりにくい場所にあったんです。何度教えても道を間違える仲間もいたくらいでしたから。それでも少しずつ口コミで車検や整備の依頼が来るようになり「何とか食べていけるかな」という状況になってきました。それで、アルバイトを辞め「HIDE MOTORCYCLE」の看板をあげることにしたんです。でも、そのガレージは仲間に『ヒデモ小屋』と言われるくらい小さなスペースで、お客さんの9割近くは知り合いばかりでした。

ーお客さんが集まるようになったきっかけは?

富樫●『ヒデモ小屋』の終わりごろにホームページを立ち上げ、積極的に情報発信をするようになったのがよかったのかもしれません。少しずつお客さんが集まりはじめると『ヒデモ小屋』が手狭になってきて、2003年に多摩川沿いの今の場所に引っ越しました。

ー富樫さんが創るハーレーは他のショップとは違う、独特のデザインをしていますよね。「いかにも」なデザインにならないのは、なぜなのでしょうか。

富樫●バイク雑誌はあまり見ませんし、見たとしても旧い英車の造りが好きなので、そんなクラシックバイクの写真集を見るくらいです。創りたいモノの形が思い描けないときは、椅子の本や彫刻の本などを見ているのですが、昔からハーレーの世界より他の世界を見る機会の方が多いですね。僕が創る作品が異質に見えるというのでしたら、そういうところに理由があるのかもしれません。

ー製作に煮詰まったとき、他のハーレーを見て参考にはしないのでしょうか。

富樫●イメージが湧かないときは何を見たって、回答は見つかりませんからね。息抜きとして、異ジャンルのデザインを見て頭をスッキリさせるのはいいですけれど、他のショップのバイクを見てそれに影響を受けてしまったとしたら…造り手としてはそこで終わりだと思います。周りを見たり、流行のカルチャーに合わせてモノを造ったりしない、モノ造りってそういうことだと思いますから。

ー1台のバイクを造るとき、富樫さんはどんな方法を取るのでしょうか。

富樫●まずフレームにエンジンを載せ、トレールなども合わせて前後タイヤを履かせます。それをじっと眺めながら、頭の中でイメージを膨らませるんです。実際に手を動かす前に、まず頭の中で1台のカスタムバイクを創り上げ、それから実際に車両を触り始めます。頭の中でいかにイメージを創りだすか、そこが一番難しい。何もイメージが浮かんでこないときは、車両を全部バラしてしまって、またゼロからやり直し。考えすぎて頭がおかしくなりそうなときもありますよ(笑)。幸い、まだまだ創りたいものはたくさんあるので、今はそれほど苦労していませんが、もし「創作意欲」がなくなったら…僕は流れ作業でカスタムをしているのではないので苦しいでしょうね。

ー実車を組み上げるよりも、イメージを創るまでの方に時間がかかることもありますか?

富樫●イメージが出来上がって、手を付けはじめたら早いですよ。構想に時間をかけたものほど、作業を始めると早くできあげることが多いかな。頭でイメージした構造を実車で確認し、そのデザインが本当に実現できるのか、を把握したら一気にやってしまいますから。

ーでも、お客さんからの依頼があってのカスタム製作ですよね? イメージ創りから富樫さんに「お任せ」の方が多いのでしょうか。

富樫●オーナーがどんな人で、どんな「ルーツ」や「カルチャー」を持っているのか、それをベースに僕はイメージを浮かべるので、ベースが何もない方の車両は造れません。オーナーに一番合うように車両を製作するのが、カスタムバイクですからね。いつも出来上がった車両はオーナーが乗って一番カッコよくなるように造るんです。僕が造ったバイクでも、僕が跨るより、オーナーが跨った方が絶対にカッコいい、そんなモノ造りをしています。ですから、オーナーの方がしっかりとした「こだわり」を持ってきてくれると、僕もイメージしやすく、楽しみながら仕事ができます。

ステレオタイプなハーレーのイメージ
そんなものには縛られず、モノを造りをしたい

ー「これがヒデモスタイルだ」という手法はありますか?

富樫●車両の撮影のとき「一番の見どころはどこですか?」とメディアの方によく質問されますが、僕はいつも「全体のバランス」と答えています。全体のバランスが取れていないデザインをすることはなく、特定のパーツが際立って目立つようなモノ造りもしません。「これがウチのスタイルです」というような決めごとは特にないんですよ。いろんなバイクを創ってきましたが、そのすべてを並べて見たときにウチらしい雰囲気が出てくれていればそれでいい。そう思っています。「言われれば確かに『ヒデモ』っぽいバイクだね」くらいに感じてもらえればいい。車両を見てすぐに「どこが造ったのか」がわかるほどガチガチのスタイルを確立する気はありません。

ー何となくですが、富樫さんが手がけた車両にはハードなモノはなく、どこかポップさが感じられる車両が多い気がしますが。

富樫●今は角張ったモノより、「R」が綺麗なデザインが好きなのでそう感じるのかもしれません。角張ったハードなバイクが嫌いなわけでもなく、ワイドタイヤが嫌いなわけでもない。その時々に自分がカッコイイと思うモノをただ創っているだけなんです。「自分の好みはコレ」だとか決め付けない方なので「ヒデモスタイルは?」と聞かれてもいつも困ってしまいます。

ーたとえ「いかにもハーレーっぽい」カスタムを手がけても、きっとヒデモらしさが出てしまうのでしょうね。

富樫●ステレオタイプなイメージでのモノ造りはしないでしょうね。「ハーレー=革ジャン」、「ハーレー=アウトロー」などのイメージがあまり好きではなくて、そんなイメージが浮かんでくるカスタムにはならないでしょう。本人にそのルーツがしっかりしていれば、そういう格好でも構わないと思いますが、自分自身の“核”を持たず、何となくそういう格好をしている人が多い気がします。ハーレーの世界って、意外に周りに流されやすい世界だと思いますよ。「So-Cal(※)」が流行れば皆が一斉にそのスタイルでカスタムを造る…そういう流行り廃りを10年くらい見てきましたから。みんな好きなようにカスタムして、好きな服を着て、好きなように乗ればいいのに…。モノ造りも同じです、周りを見て、流行のカルチャーに合わせてモノを造るのでは…それはモノ造りではないですよね。

So-cal
アメリカで流行し、日本に飛び火したカスタムスタイルの名称。South Californiaで人気が出たため、その頭文字を文字って「So-Cal」と呼ばれる。
ー昔に比べ、ハーレー業界の雰囲気はガラっと変わっていると聞きますが…。

富樫●確かに、この10年間でハーレーに乗る人のカラーは劇的に変わりました。ショップのカラーやメディアのカラーもそれに釣られて変わってきています。ステレオタイプなイメージからハーレーの世界も少しずつ変わりつつありますが、もっと自由になってもいいんじゃないかな、と思いますね。

ー同世代の方と一緒にそういう話をよくされるんでしょうか?

富樫●いえ、僕は群れるのが好きじゃないもので、大人数で走ったり、仲間を連れてイベントに行ったり…は昔から苦手なんです(笑)。出会うべき人とは自然に出会えるでしょうから、僕は僕なりの信念を基に黙々とバイクを造っていきますよ。

プロフィール
富樫 秀哉
32歳。ハーレーの枠を越えた独創的なデザインのカスタム車両を製作する「HIDE MOTORCYCLE FACTORY(神奈川県川崎市)」代表。自由な感性から創り出されるその作品には注目が集まっている。

Interviewer Column

私がまだ東京に住んでいた頃「Virgin Halrey」が立ち上がって間もない頃から「HIDE MOTORCYCLE」には用もなくよく顔を出していた。よく考えずにとにかく話す私と違い、一言一言考えながら話してくれる富樫さんにはいろいろな相談をしたのが懐かしい。数多くあるハーレーショップオーナーの中で、異色の雰囲気を持っている富樫さん。その富樫さんが創り出す車両もまた異色の雰囲気を放っている。ハーレーのカスタムの枠を飛び越えて、異ジャンルのデザインを躊躇なく自らの作品に取り込み、従来のハーレーのイメージにこだわらないモノ造りを進めている。意外に保守的なハーレーの世界の中で、富樫さんのように自由なモノ造りを進める造り手が増えてきたら…ハーレーの世界はもっと面白くなるだろう。そんな新世代が台頭してくるのが楽しみで仕方がない(ターミー)。

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