VIRGIN HARLEY |  岡本 博(トイズマッコイ代表)インタビュー

岡本 博(トイズマッコイ代表)

  • 掲載日/ 2009年03月18日【インタビュー】

ハーレーインタビューの画像

40年以上もバイクに乗り続けてきた人物が語る
ハーレーから始まるアメリカ文化の楽しみ方とは

東京・渋谷にある「トイズマッコイ」の直営ショップ「トイズマッコイストアー」には、かつての名作『大脱走』に登場するスティーブ・マックイーンが着ていた米軍のフライトジャケット「A-2」や、モーターサイクルヘルメットのブランド「BUCO」などがところ狭しと陳列されている。このショップをプロデュースしているのが、オーナーであるトイズマッコイ代表の岡本博さんだ。1946年式FLをはじめ、5台ものハーレーを所有する本格派のハーレー乗りである岡本さんに、ハーレーダビッドソンから始まるアメリカ文化の楽しみ方について話を伺った。

Interview

ハリウッドスターへの憧れから始まった
40年以上におよぶバイクライフ

ー岡本さんが最初に乗られたバイクは何だったのでしょうか。

岡本●カワサキのW1スペシャルです。16歳のときだから、今から約40年前ですね。当時はオフロードバイクの人気が高かったんですが、オフロードの新車はなかなか高価だったので、W1の中古車を買うのが精一杯でした。でも友人はみんなオフロードバイクに乗っていたから、W1のリアだけノービタイヤに代えて一緒にオフロードコースを走っていました。

ー今では想像できない遊び方ですね(笑)。

岡本●W1でジャンプしたりしていましたからね。そんな風にバイクで遊んでいたんですけど、昔からヨーロッパのバイクが好きで、しばらくしてからノートンコマンドー750を買ったんです。W1とは比べものにならないぐらい速かったですよ。

ーそこで英車を手に入れられたのは、岡本さんの憧れの人物である名優スティーブ・マックイーン主演の『大脱走』などが影響しているのでしょうか。

岡本●そうですね、最初にW1を買ったのも、マックイーンの乗っていたトライアンフ・トロフィーを重ねたところがありました。コマンドー750を買ったのは、僕の地元・名古屋市で輸入車を多く取り扱っていた大井モータースというお店でした。最初はトロフィーを探してもらったんですが、取り寄せてもらった車両は映画で見たものとずいぶんイメージが違っていたので、「何か違うなぁ」って思っているうちにコマンドー750に流れちゃいました(笑)。それから何度か大井モータースに遊びに行くようになったんですが、ある日店頭に妙な姿のバイクが置いてあったんです。それがハーレーの1974年式スポーツスターでした。

ーそこでハーレーに出会ったんですね。乗り心地はどうだったのでしょうか。

岡本●ビッグツインのような鼓動はないけれど、走ってみるとなかなか速かったんです。カツ丼が300円だった当時、中古車で84万円もしたんですが、すごく気に入ってしまって、思い切って手に入れました。ちょうどこの頃からイラストレーターとして仕事をするようになって、名古屋で開催された展覧会にイタリアのオートバイ・MVアグスタを描いた作品を出したんです。それが東京の出版社の目にとまって、東京での仕事が増えてきました。まだ23歳だったんですが、『ポパイ』(マガジンハウス発行)の表紙など、大きな仕事が入ってきましたね。仕事で東京へ行くときはスポーツスターで走っていったんですが、多いときは月に2~3回は往復していましたね。

ー今ほどスポーツスターが日本に輸入されていたわけではない時代ですから、すごく目立ったのではないですか。

岡本● ハーレーに乗っていることはもちろん、僕は当時から米軍のフライトジャケット「D-1」を着ていまして、編集部ではとても珍しがられましたね(笑)。それがキッカケで『ポパイ』で「革ジャンとアメカジ」って特集を組んだりしたんですよ。それからどんどん仕事が増えてきて、東京に居を移すことにしました。それが24歳のときですね。

ーそのとき乗っていたスポーツスターのエンジンは?

岡本●ショベルヘッドでした。実はこのスポーツスターは米軍の払い下げバイクでして、前オーナーの軍人がカリッカリにチューニングしていたんです。上京した際にオーバーホールしたんですが、エンジンを開けたメカニックが「こりゃ乗りにくいよ」って言っていました。実際、ほかのスポーツスターに乗ったらすごくマイルドでしたからね。「ああ、俺ってすごく乗りにくいスポーツスターに乗っていたんだな」って笑っちゃいましたよ。

ーその後、ビッグツインに乗り換えられたそうですね。

岡本●ええ。「ビッグツインはもっと速いだろう」と思ってFXSスーパーグライドに買い替えたんですが、全然速くなかったですね(笑)。それからしばらくはオフロードレースで遊ぶようになったんですが、ヴィンテージ・ハーレーへの興味はずっと持ち続けていて、1952年式のハイドラグライド、1938年式のナックルヘッドなど数台を乗り継ぎ、最終的には1946年式FLナックルヘッドの前期モデルと後期モデルに落ち着きました。

ーどうしてそのナックルヘッドを気に入られたのですか。

岡本●ナックルヘッドの形状もそうですが、アールデコ調の車体デザインなどが、1930年代のアメリカ文化のイメージを反映しているところが魅力的なんです。古き良き時代のハーレーの雰囲気が醸し出されていて、そこが一番気に入っています。

本場アメリカで培われた感性から生まれた
岡本博のおもちゃ箱「トイズマッコイ」

ー岡本さんが初めてスティーブ・マックイーンを目にしたのはいつだったのですか。

岡本●初めて彼を見たのは幼稚園の頃かな。『大脱走』に出会ったのは10歳のときで、兄貴と一緒に映画館に行ったのを覚えています。今はいろんな映画を好みで選ぶことができるけど、その当時は映画の本数自体がとても少なくて、どの映画を選ぶとかなく、ラブロマンスだろうが西部劇だろうが、アメリカの映画が上映されると聞けば何でも見に行っていた時代でした。そのときにもっとも話題の映画に出演していたのがマックイーンで、彼の存在がアメリカ映画の象徴だと思っていました。

ー当時は『ローマの休日』で知られるグレゴリー・ペックや、クリント・イーストウッドといったハリウッドスターがいましたよね。

岡本●ええ、もちろん彼らの映画も見ました。でも改めて思うに、マックイーンの存在感は他を圧倒していましたね。『大脱走』は実話を元にして作られた映画ですが、作品のクライマックスであるバイクで草原を駆け抜けるシーンが実際にあったかといえば、なかったと思います。でもバイクが大好きなマックイーンはそんなアクションシーンを作品に盛り込んでエンターテインメント性を高め、僕らの脳裏に強烈な印象を焼き付けたんです。

ー確かに彼がトライアンフで草原を駆け抜けるシーンは、今見ても新鮮ですね。

岡本●あのシーンがなければ、『大脱走』はあれほどの話題を呼んでいなかったでしょう。ほかにも『ブリット』という映画ではカーチェイスを行い、戦争映画『戦う翼』では戦闘機に乗っての迫真のドッグファイトシーンがあります。そうした場面に心が惹かれるのは、マックイーンにしかできないリアリティあふれるアクションが、あたかも現実のものであるかのように伝わってくるからではないでしょうか。彼こそ、真のハリウッドスターだと思います。

ー岡本さんのファッションへのこだわりからも、マックイーンがもたらした影響の強さが窺えますね。

岡本●マックイーンが映画で着ている米軍のフライトジャケットを見て、「あれはどこで手に入るんだろう」って探しまくったものです。特に『大脱走』で彼が着ていた「A-2」と呼ばれるフライトジャケットが欲しくてたまらなかった。でも当時、そういうものを入手するルートなんて知らなかったから、似たようなジャケットを買ってきて、自分でポケットを縫い付けたりしました。

ー現在アメリカンカジュアルウェアやライダーズヘルメットを取り扱う「トイズマッコイ」を手がけられているわけですが、自らフライトジャケットを作ってみようと思われたきっかけは何だったのでしょう。

岡本●そのきっかけの前に、僕は1年間アメリカ全土を旅してきたんです。ちょうど『ポパイ』の仕事をしていたとき、「本場アメリカへ行って旅がしたい」って思いまして、そのときレギュラーで抱えていたバイク雑誌の表紙イラストを1年分まとめて描いて、編集部に送ってから渡米したんです。

ーすごい発想と行動力ですね(笑)。

岡本●昔から僕の考え方はいい加減で、今もそうなんですけどね(笑)。それから1年、特定の場所には留まらず、知り合いの家や安いホテル、モーテルなどを転々としながらアメリカ全土を放浪しました。その間、現地で軍物ジャケットを卸しているディーラーとかコレクターからたくさんフライトジャケットを買い付けました。あるとき、30ドルで仕入れたフライトジャケットを僕に250ドルで売ったディーラーがいて、それを知った仕入れ先が「お前、ぼったくりすぎだ」とディーラーとケンカを始める場面に出くわしたりしましたよ。でも程度はすごくよかったし、自分の趣味で集めているものだったから全然不満はなかったですね。

ーそして渡米してから1年経ち、日本に戻られたのですね。

岡本●そうです。すると日本への飛行機でバイク雑誌の編集部の人と一緒になったんですが、「岡本さんには参ったよ、1年分のイラストって言っていたけど、ひと月分足りなかったんだよ~」って言われちゃって(笑)。

ー編集部の方々は大変だったでしょうね(笑)。

岡本●日本に戻ってきたのが1980年代初頭で、ちょうどそのとき「A-2」というタイプのフライトジャケットを作っているイギリスのメーカーがいると聞いて、商品を取り寄せました。ところがあまり雰囲気を醸し出すものではなかったので、「だったら自分で作っちゃおう」って思ったんです。それから細部にまでこだわったフライトジャケットを実際に作る計画を練ってみると、300着ぐらい作る必要があるということになりまして。その話を当時の『ポパイ』編集部から『ターザン』編集長になられた石川次郎さんに話したところ、「『こだわりのフライトジャケットを作るとしたらこうだ!』って特集をポパイでやろう」と言ってくれました。それで、実際に特集を組むことになったんです。

ーかなりの反響があったそうですね。

岡本●「別に売れなくてもいいや」って思っていたんですが、『ポパイ』発売と同時に問い合わせが相次ぎ、あるお客さんはまだ作ってもいないのにお金を送ってきたりして、「こりゃ大変だ!」って慌てて製作することになりました。僕らが手がけた製品はすべて手作りだったので、納品まで1年もかかっちゃったんですが、皆さん辛抱強く待ってくださいました。それでこの仕事は終わりにしようと思ったのですが、アンケートを見るとフライトジャケットへの反響がすごかったので、「じゃあ会社を興して本格的にやろう」となりました。

ーそれが「トイズマッコイ」の前身になったのですね。

岡本●そうです。そこからライセンスを獲得してマックイーンのGIジョーを自社製作したり、BUCOヘルメットを手がけるようになりました。そこから今の「トイズマッコイ」が生まれたのです。

ーBUCOヘルメットは今や「トイズマッコイ」の代名詞のような存在ですね。

岡本●小さい頃は、レーサーだった兄貴がBELLの500TXやマグザム・スターなどのヘルメットをかぶっていて、僕もBELLに憧れていました。それが中学生のとき、BUCOのロゴが入ったゴーグルを見つけて、すごくカッコよかったので買ったんです。

ーそれがBUCOヘルメットを手がけるきっかけなのですね。

岡本●思い返すとそうなりますね。子供心に「BUCOって何だろう」って思ったのを今でも覚えていますよ。BUCOは元々バイクの総合アクセサリーメーカーでして、レース向けのヘルメットを製造していたBELLと違って、実用性の高い一般向けのヘルメットを作っていたのです。それで「トイズマッコイ」としても、一般の人がファッショナブルに楽しめるヘルメットを手がけたいと思い、BUCOヘルメットを製作するようになりました。

ーBUCOヘルメットの新ブランド構想があるともお聞きしました。まだまだ岡本さんがやりたいことというのは尽きないのですね。

岡本●自分がやりたいと思っていたことはやり尽くしたのですが、まだ極めていないんですよ。今は自分が納得できるまでいろんなことに取り組んでいきたいと思っています。結局は自分との戦いですからね。

ー最後に、岡本さん流の「ハーレーの楽しみ方」を教えていただけますでしょうか。

岡本●僕はハーレーをオートバイとは思っていないんです。ハーレーをライフスタイルのひとつとして、またファッションの一部として楽しむのがいいんですよね。ハーレーはいろんなものに似合うし、いろんな趣味のひとつとしてハーレーに乗るというのもいいと思います。今、ハーレーに憧れている若い人には、少し無理をしてでもハーレーに乗ってみて、今しか体験できない楽しさを味わってほしいな、と思います。何事もまずやってみれば、そこから知るもの、得られるものがありますから。

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Interviewer Column

「あなたの好きなハリウッドスターは?」と聞かれたら、ブラッド・ピットやキアヌ・リーブス、ジョニー・デップなど、いろんな人がいろんな人物の名を挙げるだろう。岡本さんの若かりし頃には、スティーブ・マックイーンという絶対的な象徴が君臨していて、彼こそがハリウッドスターそのものだった。そんなマックイーンに憧れてフライトジャケットを身にまとい、バイクに乗って駆け抜けた青春時代が今の岡本さんを作り上げ、そして今なお岡本さんは夢を追いかけている。その姿は往年のマックイーンのようにカッコよく、そしてただただ羨ましいと思う。好みも憧れも人それぞれだが、せっかくハーレーに乗っているのだから、「自分のスタイルはこれだ」という芯を貫いたカッコいい生き方がしたいな、と感じさせられたインタビューだった。

文・写真/VIRGIN HARLEY.com 編集部 田中宏亮

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