パンヘッドやナックルヘッドに比べて、今でもなお多くの人に愛用されているエンジン。それがショベルヘッドです。パンやナックル同様の美しいエンジン造形、強烈なエンジンフィーリングは、他社メーカーはもちろん、ハーレーの中でもトップレベルではないでしょうか。もちろん、現行車に比べて耐久性やパワーは劣りますが…。今回はこのショベルヘッドについてご紹介いたしましょう。
ハーレーOHVの第3世代にあたるショベルヘッド。このショベルが誕生したのは、1957年でした。なんと、最初はスポーツスターのエンジンとして搭載されていたんですよ。ショベルヘッドビッグツインは、スポーツスターに遅れること9年、1966年に誕生しました。実はこの時期、モーターサイクルの世界には、大変動が起こっていたんです。そう、私たち日本のモーターサイクル(ホンダ、カワサキなど)が、安価で高性能なマシンを製造販売し、ハーレーダビッドソンをはじめ、海外メーカーは大苦戦に陥っていたのです。4気筒の日本車は、高出力と工作精度の高さで海外製品を駆逐しつつありました。
もちろん、ハーレーの伝統を象徴するツアラーカテゴリも例外ではありませんでした。日本車は高性能なツアラーも安価に販売しはじめたんです。そういう意味で、日本の本田 宗一郎さんはすごい人ですよね。さて、この窮地にハーレーダビッドソンは、当時スポーツスターで成功していたショベルヘッドエンジンをビッグツインに採用し、日本車の攻勢を凌ぎ切ろうと決断したわけです。このショベルヘッドは、1984年のエボリューションエンジンが登場するまでハーレーダビッドソンの主役としての地位を務めます。
パンヘッドの頃から徐々に車格が肥大化傾向にあったハーレーダビッドソン。ビッグツインのショベルヘッドは、高性能な日本車に対抗するためもありますが、肥大化し、剛性を増したボディに合う排気量やパワーがを与えられました。シリンダーからクランクケースに大幅な改良が加えられ、電装系も現行車と同様の電圧の12Vに変更されています。
ロッカーアームのカバーが「ショベル」に似ているところからニックネーム的に付けられています。横から見るとわかりづらいですが、上から見るとよくわかると思いますよ。
日本車に対抗して改良されたショベルも、エンジンの振動、オイル漏れ、オーバーヒートなどの根本的なトラブルは改善されませんでした。そのため、販売台数は下降の一途をたどり、1960年後半にはとうとう経営危機を招きます。そして、69年にAMF社(アメリカン・マシン・ファンドリー社)に買収されてしまいます。この買収でハーレーの創立者一族の多くが経営から退きましたが、残った人の中にハーレーの救世主とも言える人物がいました。その人物こそウィリー・G・ダビッドソン。創設者の1人であるオールド・ビル・ダビッドソンの孫に当たる人物です。彼は、当時大半を占めていた裕福なノーマルのまま乗るユーザーとは別に、ハーレーをカスタムするライダー”に注目します。また、既存モデルを流用した車両開発にも興味を持っていました。そういう流れで生まれたのが1971年の『FX1200スーパーグライド』です。FL系のビッグツインエンジンとフレームに、XL系(スポーツスター)のフロントフォークを装着するスポーティなモデル。ちなみに、この『FX』はメーカー初のファクトリーカスタムモデルであることの象徴として付けられたんですよ。
FXは、当時主力車種であったFLHに次ぐ生産台数を誇り、新しいハーレーカテゴリを生み出すことになります。ウィリー・Gは、この成功に流れにのり次々にヒット車両を誕生させました。例えばローライダー、そしてファットボーイなどです。現代でもこれらの車両は人気がありますねが、よく考えるとこれはすごいことです。数十年前のデザインが、今だほとんど変わらず生産されていて、人気がある…そういう商品は他にはそうそう見つかるものではありませんね。
FXの開発で成功を得たハーレーも、常に順風満帆であったわけではありません。当時のアメリカ政府は個人が手を加えたカスタムの増加を見て、メーカーに対して安全向上のための規制を打ち出してきたのです。まあ、これは当然といえば当然ですね。例えば、1972年には左シフト、73年にはウインカーの装着義務などが施行されています。この他にもフレームの強化規制などがあり、安全装備の充実とともに車両重量はどんどん増えていきます。そうなるとユーザーが求めるのは唯一つ。「モア・パワー」です。 このタイミングでハーレーは、1978年にFLHエレクトラグライドに1340ccエンジンを搭載します。このときの改良点は多岐にわたりますので、代表的なものをいくつかご紹介しますね。
・ポイント点火方式からガバナーの無接点方式に
?・鋳鉄製シリンダーは、88.8mm×108mmにスケールアップ
※1976年から日本製のケーヒンキャブレターが採用されていました。この頃から排出ガス規制がスタートし、吸気系と燃焼効率が見直されています。
この1340ccのFLHがデビューの翌年より、ハーレーのニューモデルラッシュは始まりました。
・FXEF (ファットボブスーパーグライド)
・FXS (ローライダー)
・FLHC (エレクトラグライド)
・FLT (ツアーグライド)
1980年からはさらに以下のモデルが販売されています。
・FXB (スタージス)
・FXWG (ワイドグライド)
・FLHS (エレクトラグライド)
このニューモデル・ラッシュで、1969年の買収時にはわずか1万5000台程度だった販売台数も、5万台を超える勢いになります。この大きな成長が後の(1981年)のAMFからの株式買い戻し(バイバック)に繋がり、そしてエボリューションエンジンの時代へと続いていくわけです。と、この先は次回にいたしましょう。
ショベルはパーツリストなどで41年~84年まで製造されていたとなっていますが、実はFLHXという車種が85年に日本向けに少数製造されています。ただこれはアメリカでは販売されなかったので、リストには載っていないというわけです。FLHXは白と黒っぽい茶色の2カラーがあり、当時は白が人気でした。私もそのころからハーレーダビッドソンを販売していますが、克明に記憶しています。
この車種の特徴はクランクケースが黒塗りだということです。今でも、状態の良いショベルをお求めの方には、大変お勧めな車両です。ちなみに、車体番号の10桁目を見るとその車両の製造年がわかるようになっていますが、FLHXの10桁目は「F」になっており、これは85年製造を表しています。このコラムを書きながら、当時のことが大変懐かしく思われました。